投資信託には売買注文の時点で、約定価格が決まっていないという一見、不思議な仕組みがある。「ブラインド方式」と呼ばれるものだ。筆者のように投信にかかわる人間であれば、知っていて当たり前だが、一般的にはあまり浸透していないのではないかと思う時がある。
長期投資を前提にすれば、そこまで大きな問題にはならないのかもしれないが、もう少し、理解を促す努力が業界全体にあってもよいのではないか。8月に起きた、国民的ファンド「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」(通称、オルカン)からの一時的な資金流出をきっかけにそんなことを思った。
投信の注文は「金額指定」と「口数指定」
最初に投信の売買の仕組みを押さえておきたい。個別株式の場合、「株価〇〇円以下で買う」「株価〇〇円以上で売る」といった「指値(さしね)注文」が可能だが、投信の場合、そうしたことはできない。
投信の注文方法は「金額指定」と「口数指定」だけだ。例えば、注文時の基準価額が1万円で、注文後に基準価額が1万5000円になり、それが約定価格になったとする。金額指定で3万円購入の注文を出していたとすると、当初は3口買えると思っていたものが、2口しか買えないことになる。また、口数指定で3口購入の注文を出していたとすると、当初は3万円で買えると思っていたものが、4万5000円必要なことになる。(※通常、基準価額は1万口当たりで考えるが、ここでは1口あたりで考える。以下同)
いずれにしても、「基準価額○円で買う(もしくは売る)」といった注文はできない。なぜなら投信においては、注文の後に決まる基準価額で約定するということが大前提であるためだ。
より具体的に言えば、通常、15時までの注文に対する約定価格が決まるのは、国内資産の場合はその日の夕刻、海外資産の場合は、翌営業日の夕刻(ファンドによっては翌々営業日の夕刻)になる。人気の海外株投信の場合、上の図にあるように、注文後に始まる海外市場の終値と翌営業日の為替レートが決まったうえで、ようやく約定する基準価額が決まる。
なぜ「ブラインド方式」という仕組みがあるのか
そもそもなぜこのような仕組みが存在するのか。仮に、すでに公表されている基準価額で取引できた場合に、どんな問題が起きるか考えたら分かりやすい。
すでに公表されているファンドAの前営業日の基準価額は1万円。受益者はXさん1人だけで、1口保有しているとする。純資産総額は1万円×1口=1万円だ。
相場が上昇し、ファンドAの純資産総額が1万1000円まで増えたとしよう。新たに1口購入を希望したYさんが前営業日の基準価額である1万円で購入できてしまったとする。
純資産総額は1万1000円+1万円=2万1000円で、口数は2口になる。1口あたりの基準価額は2万1000円÷2=1万500円だ。本来、Xさんは1万1000円の基準価額を享受できるはずが、500円分、割を食ってしまうのだ(逆にYさんは500円分トクをしている)。
このような不公平は売却の時にも起きる。例えば、明らかに基準価額の下落が見込まれる時に、前営業日の基準価額で売ることができれば「高く売り抜ける」ことができてしまう。その分は、売らずに残ったファンドの受益者にしわ寄せがいくことになる。ブラインド方式はこのような受益者間での不公平が起きないように不可欠な仕組みといえる。
長年、投信業界にかかわってきた杉田浩治氏の著書『投資信託の世界』(2019年、一般社団法人金融財政事情発行)によると、米国では1968年まで、日本では1970年までは、既知の基準価額で取引できる仕組みだったが、今やブラインド方式は世界共通のスキームだという。
なぜ「オルカン」は8月7日に資金流出が目立ったのか
ここで、冒頭の話に戻りたい。今年8月7日、国民的ファンド、オルカンから過去最大の約209億円もの資金が流出した。設定額(購入額)から解約額を引いた、純流出額も約77億円で過去最大となった。詳細は松井証券サイト内の「海老澤界の投信コラム」でまとめたので、そちらを確認していただけたら幸いだ。
「8.7」オルカン資金流出 「令和のブラックマンデー」が引き金?(松井証券「海老澤界の投信コラム」)
すべての受益者が「ブラインド方式」を理解していたら、このような大きな流出が起きていただろうか。オルカンの一時的な資金流出について考えていた時に、ふと、そんなことが頭をよぎった。8月7日の資金流出は、8月2日の金曜日の15時より後から8月5日の月曜日の15時までの間の売却注文が反映されたということになる。なぜなら、オルカンの場合、その期間の注文が約定するのが翌営業日の8月6日の夕刻であり、残高に反映されるのがさらにその翌営業日の8月7日であるためだ。
日経平均株価は8月2日に2216円63銭安、8月5日には過去最大の下げ幅となる4451円28銭安となった。8月5日に売り注文を出した人の中には、同日夜から翌朝にかけての海外市場が大きく下落する前に「売り抜けられる」と考えた人もいたのではないだろうか。無論、ブラインド方式の仕組みを理解していれば、そんなことができないのは分かるだろうし、焦って行動に出ることはないだろう。
これからずっと下落トレンドが続くと考えて、「できるだけ早く売ろう」と考えた人もいただろう。ただ、8月5日の流出が突出して多いことを考えると、ブラインド方式をあまり理解せず、あわてて行動した人が一定数いるのではないかというのが筆者の見立てだ。今回のケースでは8月6日を底に、オルカンの基準価額は上昇に転じたので、結果、8月5日の売却注文は「下値で売る」という最悪のタイミングになってしまった。
「ブラインド方式」に対しては丁寧な情報発信が必要
もちろん、ブラインド方式を知っているか否かが、投資行動にそこまで大きな影響を与えていない可能性もあるので、筆者の懸念について、的外れと考える人もいるかもしれない。とはいえ、ブラインド方式に対する一般的な認知度があまり高くないのはおそらく間違いないと思うし、もう少し丁寧な情報発信が必要ではないだろうか。
特に最近の人気ファンドの中心は海外株型だ。海外資産で運用する投信の場合、約定するのは注文の翌営業日、場合によっては翌々営業日になる。ブラインド方式を知らずに、無駄にタイミングを計って売買をしようとすると、先ほどのオルカンの話のように、結果として裏目にでることもある。
ブラインド方式を知ったうえで、「タイミングをはかった売買は難しいので投信はあくまで長期投資のツールだ」と割り切るのか、はたまた、ブラインド方式という制約のうえで、最大限、売買のタイミングでも努力するのか、それは個人の考えである。ただし、ブラインド方式を知っているか、知っていないかの差を無視してはいけないと筆者は考える。
かつては投信が分配金を出すことで基準価額が引き下がることについて、理解が徹底されていなかったように思える。しかし、現在の定期分配型ファンドの目論見書をみると、「収益分配金に関する留意事項」として、純資産から分配金がでる仕組みがイラストによって分かりやすく示されている。一案だが、これと同じようにブラインド方式や基準価額の決定プロセスについても、目論見書などにおいて、ビジュアル的に理解されやすい示し方を模索する余地があるように思える。
一連の騒動をたどると・・・
8月7日のオルカンの資金流出について、筆者はもう少し言いたいことがある。世間を騒がしたのは、「QUICK Money World」(QMW)が8月8日に配信した記事「オルカンなど主要ファンドから資金が流出 7日の投信」が発端のようだ。情報感度が鈍い筆者は恥ずかしながら気づかなかったが、この記事はインターネット上で拡散され、様々なところで話題になったという。
念のため付け加えておくと、QMWの記事は、事実をそのまま伝えたまでのものだ。その後、一連の資金流出について、検証する記事がインターネット上でいくつか確認できた。中には、純資産総額に占める流出額の割合は大きくないため、8月5日に売った人はほとんどいない、といった論調の記事もあった。筆者はこのようなメディアの論調に違和感を覚える。というよりも、「だから何が言いたい」と思ってしまう。少なかったら無視してよいのだろうか。
確かに、純資産総額に占める流出額の割合は大きくない。しかし、最初のグラフで示した通り、これまでとは明らかに違う動きであり、そこで「何か」が起きたのは間違いないだろう。人それぞれ置かれている状況が違うし、様々な考え方があってよい。筆者は売ることが悪い、と決めつけるつもりは一切ない。ただ、あのタイミングで売った人の中には投資の知識が乏しい初心者がそれなりに含まれていたのではないかと思う。
一度、投資から離れてしまった人がまた投資に戻ってくるのは困難が伴うようにも思える。政府が掲げる資産運用立国を実現するためには、初心者を含めた多くの人が安心して投資を続けられる環境づくりが必要だ。そのために必要なのは丁寧かつ正しい情報発信であると肝に銘じたい。
例えば、今回取り上げた「ブラインド方式」の周知は些末(さまつ)なことのように思えるかもしれないが、そうしたことを地道に積み重ねることが「貯蓄から投資へ」の流れに不可欠ではないだろうか。
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