3人に2人は落第点
【QUICK 解説委員長 木村貴】前回紹介したように、米大統領は人によって、任期中に株式相場が大きく上昇した人、あまり上昇しなかった人、下落した人がいる。ただし、株高になった時期の大統領が、本当に株式市場にとって望ましい人物だとは限らない。ある大統領の任期中に株価が上昇しても、単にお金の量を増やした効果による一時のバブルでしかない場合もあるし、悪い政策の影響が後任の時代になって現れる場合もある。
米ペンシルベニア大学のジェレミー・シーゲル教授が述べるように、株式の優れた運用利回りを根底で支えるのは「財産権を保障する安定した政治体制」、つまり資本主義だ。どの大統領が株式投資にとって長期で望ましい政治を行ったかを判断するには、政策の中身が安定した資本主義を支えるものかどうかを吟味しなければならない。
そのヒントになる本がある。米シンクタンク独立研究所の主任研究員、アイバン・イーランド氏が2009年に出版した「ラシュモアを彫り直す」だ。初代ジョージ・ワシントンから当時のバラク・オバマ氏までの歴代大統領(就任後まもなく死亡した2人を除く41人)について、「平和」「繁栄」「自由」の3つの観点を総合してランキングしている(表)。「平和」とは戦争を避け、必要な自衛戦争だけを指揮したかどうか。「繁栄」は経済に対する介入や規制を控え、民間市場の発展を妨げなかったかどうか。「自由」は市民の自由を侵害しなかったかどうか、である。
狭い意味で資本主義を支える条件は「繁栄」だが、「平和」「自由」も、安定した資本主義を育むのに直接間接に寄与する。だからこのランキングは、株式投資の土台となる資本主義にとって望ましい大統領のランキングに近いとみていいだろう。なお書名にある「ラシュモア」とは、偉大とされる大統領の肖像が刻まれたサウスダコタ州の山を指す。
ランキングは大きく5段階に区分され、上位からとくに優れた4人を「優」(Excellent)、それに続く良好な6人を「良」(Good)、平均的な4人を「可」(Average)、あまり良くない10人を「不可」(Poor)、評価が最も悪い17人を「劣」(Bad)としている。イーランド氏の採点は辛く、最上級の「優」は全体の10%弱しかいない一方で、最下級の「劣」は41%もいて、「不可」まで含めると66%に達する。米大統領の3人に2人は落第点というわけだ。
市場原理を尊重した経済政策
この本以外の情報も参照しながら、ランキング上位の主な顔ぶれと政策をみていこう。「優」の4人は、いずれも19世紀の大統領で、20世紀以降は1人もいない。時代の古い順にいうと、バン・ビューレン、タイラー、ヘイズ、クリーブランドとなる。大統領を立派に務めたこの人たちにはまことに失礼だが、専門家でない限り、「1人も知らない」という日本人は少なくなさそうだ。無理もない。地元の米国においてさえ、有名とはいえないのだから。しかし、その業績はいぶし銀のように光る。
マーティン・バン・ビューレンが第8代大統領になったのは、日本の江戸時代後期、天保年間にあたる1837年。就任まもなく、経済危機に襲われた。自身が副大統領を務めた、ジャクソン前政権による金融緩和が招いた過熱景気の反動だった。政府に対し、通貨の発行を金の保有量とひも付ける金本位制の制限を緩め、お金の量と公共事業を増やすよう求める声が強まった。現代と同じ、金融緩和と財政出動の要求だ。
しかし当時はまだ、お金の量を増やすと質を劣化させ、個人の財産権を侵害するという保守的で健全な考えが生きていた。バン・ビューレン大統領はこの考えから金融を緩めず、公共事業と政府債務をむしろ減らした。今なら不況を悪化させる愚策と叩かれるだろう。実際には同大統領の市場原理を尊重した経済政策の結果、不況は当時の常識どおり、短期間で終わった。規制に縛られた現代と違い、物価、とくに賃金が柔軟に下がりやすかったため、成長産業が低いコストで人を雇い、経済回復を主導したからだ。
経済の原理を理解していたバン・ビューレン大統領は、こんな言葉を残している。「(必要なのは)立法による助成金や規制の助けを借りることなく、民間の利益、企業、競争を基礎とする仕組みだ」
ジョン・タイラーは1845年、ウィリアム・ハリソン大統領が在任わずか1カ月で病没したのを受け、副大統領から昇格した。共和党の前身であるホイッグ党に属したが、元民主党員であり、ホイッグ党に移ってからも民主党の政治信条を変えなかった。経済の規制が大好きな今の民主党と異なり、当時の民主党は小さな政府を重視し、経済への介入を控える自由放任主義の政党だった。
このためタイラー大統領は、関税引き上げや通貨増発、公共工事拡大をめざすホイッグ党と鋭く対立。ついに党を除名され無所属の大統領になった。主義主張を曲げない、反骨精神にあふれた人物だった。
ラザフォード・ヘイズの就任は1877年。日本はすでに明治時代だ。合衆国を二つに割った南北戦争の終結から十数年後だが、戦争の負の遺産はなお残っていた。戦争中の大統領アブラハム・リンカーンが戦費を賄うためグリーンバックという不換紙幣を大量に発行したのだ。これは物価高騰のほか、海外投資家が米国債を買わなくなるという深刻な問題を招いた。
軍人出身のヘイズは大統領に就任すると、支出を切り詰めて財政黒字を毎年計上し、その余剰資金でグリーンバックを償還するための金準備を蓄えた。その結果、ドルの信用は回復し、物価高も収まった。また減税も実現した。大統領は自ら任期を限ったほうが仕事はうまくいくというのが持論で、1期を務め上げると、公約どおりホワイトハウスを去った。
「政府が国民を支えてはならない」
今秋の選挙でドナルド・トランプ前大統領が返り咲きをめざしているが、これまで米国史上、間をおいて計2期を務めた大統領は1人しかいない。グローバー・クリーブランドだ。任期は1885〜89年、1893〜97年の2度にわたる。小さな政府をめざす民主党員だったクリーブランド大統領は、議会が可決した法案に対し拒否権を盛んに行使したことで知られる。
1887年、クリーブランド大統領は特筆すべき拒否権を発動する。当時、干ばつがテキサス州の農家を襲ったのを理由に、議会は同地の農民が種子を購入するために10万ドルを計上した。クリーブランドはこの支出に拒否権を行使し、「国民が政府を支えるのであって、政府が国民を支えてはならない」と述べた。さらにこう続けた。
個別の災害まで連邦政府が救済すれば、人々が政府の温情を期待するようになり、米国民のたくましい気質を弱めてしまうだろう。また、国民の間に思いやりの気持ちや行動が広がるのを妨げてしまうだろう。そうした気持ちや行動こそが、同胞としての絆を強めるのに。
政府の災害支援といっても、その原資は国民の税金に他ならない。支援が歯止めなく広がれば、その負担はいずれ被災者自身を含む国民の肩にのしかかる。その事実を理解していたクリーブランドは、必要な援助は民間の慈善事業や既存の政府事業で行うべきだと主張した。復興予算に無駄遣いの目立つ日本政府に聞かせてやりたい言葉だ。
資本主義に望ましい大統領ランキングの上位に、無名の大統領が多いのには理由がある。歴史家や評論家はしばしば、大きな戦争を指揮した大統領を英雄としてたたえる。南北戦争のリンカーン、第一次世界大戦のウッドロー・ウィルソン、第二次世界大戦のフランクリン・ルーズベルトらだ。彼らは多くの場合、戦費を賄うためにマネーを濫造し、お金の価値を失わせた。これは財産権の保障を前提に成り立つ資本主義の根幹を揺るがす。リンカーンら3人に対するイーランド氏の評価はいずれも「劣」だ。
一方、バン・ビューレン、タイラー、ヘイズ、クリーブランドらは大きな戦争を避けたことで、忘れられた大統領となったが、平和とともにお金の価値を守った。これが19世紀米国で資本主義の急速な発展を可能にし、経済大国の土台を築いた。彼らこそ真の英雄といえる。
長期の株高をもたらすのは自由な資本主義であり、そのためには財産権や市場原理を尊重する政府の姿勢が欠かせない。米国も日本も、株高の持続はそのような政治指導者の登場にかかっている。