8月4日に、米国で7月分の雇用統計が公表されました。
【次の図】に示すとおり、過去は非農業部門雇用者数の前年同月比の伸びが「1.5%」を割り込むと、景気後退が不可避です。逆に、「1.5%」付近まで鈍化したものの、「1.5%」を割らずに回復し、景気後退が回避されたケースがいくつかあります(→1963、86、96年)。
今回も雇用の伸びは安定的に鈍化しており、7月は「2.2%」です(→季節調整前だと2.1%)。もう少し様子をみる必要があります。
データは短いものの、先行するものを挙げると、【次の図】に示すとおり、臨時・派遣雇用サービス部門の雇用者数の伸び(前年同月比)は、非農業部門全体の伸び(同)に先行します。これは、直観的にも理解できます。
金融市場では、ときおり「今回は、労働不足もあり、雇用が強いまま」といった見解もみられます。他方で、この臨時・派遣雇用サービス部門の雇用者数は、6ヵ月連続で減少しています。
「臨時・派遣雇用から正規雇用に振り替わっているために、同部門の雇用者数が減少してみえる」という可能性もありますが、【次の図】に示すとおり、非農業部門全体の雇用者数の伸びは「安定的な減少トレンド」を描いています。
よって「もし、臨時・派遣雇用から正規雇用に振り替わっているなら、既往の正規雇用者数が減っている」ことになります。こうしたことは、「労働者の質やスキルの入れ替え」としてミクロではありえるとしても、マクロでは考えにくいでしょう。
遅行指標ではありますが(≒「いまが景気の最も暗い局面だ」との考えも構築できますが)、「労働市場は軟化している」と言えそうです。
中央銀行による債務超過のクラシックなパターンとその解消方法
さて、最近の当コラムでは、中央銀行の「資金収支の赤字」や「債務超過」について考えるために、市中銀行準備預金やリバース・レポ、政府預金といった中央銀行にとっての負債科目、さらには市中銀行による貸出や翌日物の資金貸借市場などについてみてきました。赤字(純損失)が累積して、資本を上回ると債務超過に至ります。
今回は、中央銀行の「債務超過」のパターンとその解消方法について眺めていきます。
第一に、中央銀行が債務超過に陥るクラシックなパターンは、【すぐ下の図】に示すとおり、評価損や売却損によって保有資産の価値が目減りすることから起きます。
合わせて、評価損や売却損による債務超過の直接的な解消方法は、【すぐ上の図】に示すとおり、国債発行や徴税による方法です(→市中銀行準備預金を減らして、資本に振り替える)。すなわち、「貨幣の信用力とは政府の信用力・徴税能力である」と言い換えられます(→貨幣を民間の機関(米連邦準備制度理事会・FRB)が発行している米国をどう考えるかといった、新たな疑問が生じます)。
ただし、債務超過は必ずしもただちに解消されるとは限りません。たとえば、オーストラリア準備銀行は昨年、保有債券の評価損で債務超過に陥っていますが、解消策は講じられていません。とはいえ、豪ドルは暴落していません。
他方で、イングランド銀行の「資産買い入れファシリティ」については、保有債券の売却(量的引き締め・QT)によって多額の実現損が生じており、英財務省とイングランド銀行による事前の取極めにしたがって、財務省が損失を補填しています。
別途、過去にも、チリ、チェコ、イスラエル、メキシコの中央銀行のほか、先進国では、ドイツ連銀が1977-1979年に債務超過に陥っています(→おもに外貨準備の評価損による)。これらの中央銀行は数年単位で債務超過が継続しましたが、金融政策を問題なく実行することができています。
なお、日本銀行と米連邦準備制度理事会(FRB)は償却原価法を採用しているために評価損を計上しません(→仮に、FRBが評価損を計上すれば、FRBは大幅な債務超過です)。他方で、欧州中央銀行(ECB)やドイツ連銀などは大規模な評価損を計上しています。
さらに付け加えると、FRBは量的引き締め・QT=資産の削減を行っていますが、保有国債の満期償還や住宅ローン担保証券・MBSの繰り上げ償還による「自然減」に任せているために売却は行っておらず、実現損はほとんど生じていません。
中央銀行による債務超過の新たなパターンとその解消方法
そして、中央銀行による量的金融緩和・QEと準備預金への付利が始まり、最近の大幅な利上げとともに「準備預金への付利利払い」が「保有有価証券からの受取利息」を上回って、多くの主要中央銀行の資金収支は赤字に転じています。
このうち、FRBは今年の4月に純損失の累積額が資本の額を上回って、事実上の債務超過に陥っています。これは、付利が開始されたことによって生じた「中央銀行による債務超過の新たなパターン」と考えられます。
【すぐ下の図】に示すとおり、この新たなパターンでは、資産の金額は変わらないものの、市中銀行への付利の利払い(=中央銀行にとっての費用・損失)が増えることによって、資本が目減りし、やがて資本がゼロになっても付利の支払いは続くために、バランスシートが「アンバラ」=債務超過になります。
合わせて、債務超過の直接的な解消方法は、【すぐ上の図】に示すとおり、国債発行や徴税による方法であり、前節の評価損・売却損のパターンと同じです(→市中銀行準備預金を減らして、資本に振り替える)。
念のために、債務超過に至る過程を確認するために、「中央銀行にとっての受取利息」が生じる国債利払い時の中央銀行のバランスシートを見ておきます。
【次の図の左】に示すとおり、まずは、国債の利払い日に、利払いに相当する金額が「政府預金」から引き落とされます。このうち、①民間の国債保有分に関する利息は「市中銀行準備預金」へ、②中央銀行の国債保有分に関する利息は(中銀にとっての受取利息=利益として)「資本」へと、それぞれクレジットされます。ただし、【同右】に示すとおり、たいていの中央政府は財政赤字であって、国債への利払いに充てる資金がありません。よって、政府は、利払いにあたり、利払い分の金額を、新たな国債発行と中銀からの利益送金(=中銀が受け取った国債利息の返金)というかたちで用立てします。すなわち、多少の時間差はあれど、準備預金残高(=マネーの一部)や政府預金残高、中銀の資本勘定は「行って来い」になります。
他方の「中銀による付利支払い」は、【次の図】に示すとおり、付利が市中準備預金にクレジットされると同時に、付利の支払いは中央銀行にとっての支払利息=費用となるために資本が同額減少します。
この後者が前者を上回ると、財務省への利益送金は停止され、やがては本節の上部でみたとおり、中央銀行が債務超過に陥ります。
FRBは将来の利益で債務超過を解消しようとしている。
前節では、債務超過の直接的な解消方法として、政府による出資を示しました。もちろん、民間による出資も可能です(→貨幣という中銀債務を中銀への出資に振り替える)。
実際には、FRBと米財務省の間には、(2011年に債務超過に備えた会計方法の変更が行われていることから類推すると、事前にFRBが債務超過に陥る可能性については視野に入っていたようですが)FRBが民間出資の機関であり、自身の独立性を懸念したためか、「債務超過を財務省の出資によって解消する」といった取極めは結ばれていません。
合わせてECBについてもそうした取極めはありません。他方のイングランド銀行の資産買い入れファシリティについては上記のとおり、政府と中銀による債務補填の取極めがあります。ただし、資産買い入れファシリティは中央銀行からは切り出された存在になっています。これも(イングランド銀行本体の債務超過を避けることで)独立性を考慮したためと思われます。
話をFRBに戻すと、FRBは、政府や民間による出資ではなく、将来の利益で債務超過を解消しようとしています。【次の図】は、ニューヨーク連銀による今後のFRBの債券ポートフォリオの資金収支見通しを示したものです。
ただし、「逆イールド」と中央銀行の赤字が長引けば、中央銀行が発行する債務、すなわち貨幣への信頼が揺らぐ可能性も否定はできません。
「中央銀行はいくらでも貨幣を発行できるので問題ない」という反論への反論
中央銀行の債務超過に対する懸念の主たる反論として「中央銀行はいくらでも貨幣を発行できるので利益を増やし累積損失を一掃できる」というものがあります。
もし、それができるのなら、中央銀行は「無用な懸念」を持たれる前に、いますぐにでも実行しているでしょう。
中央銀行が準備預金を発行するためには、なにかの資産を買う必要があります。しかし、中央銀行が赤字の理由は「逆イールド」ですから、いま債券の買い入れを増やしても(ゴールドでも株式でも)資金収支の赤字は拡大する一方です。
利払いが生じる準備預金ではなく、利息がゼロ%の貨幣・現金を発行してなにかを買うと仮定としても、金利が高いですから、家計は貨幣としては退蔵せず、準備預金かリバース・レポとして回帰して、中央銀行には金利負担が発生します。
逆に、いまが「順イールド」であると仮定しましょう。しかし、いまは金融引き締めを継続したいときです。そんな局面において、「債務超過を解消したい」がために、資産を大量に購入して準備預金を発行する量的金融緩和・QEを行うと、なおさらインフレのリスクに火をつけることになります。「中銀の債務超過は問題ない」と「貨幣を発行すればインフレになる」が矛盾するようにみえます。
まとめると、「景気後退が来て、順イールドに転換し、QEが正当化できる局面が来ることをただ待つしか手がない」のは、転換までの期間と金融市場の解釈が未知数である以上、通貨発行主体としては危うい状態です。
最後の最後は、政府の信用力・徴税能力がモノを言いますが、問題はそれに至る過程で、民間の経済主体がそれを理解して行動するかどうかでしょう。「政府の信用力・徴税能力がモノを言う」局面はたいてい、大きなインフレが起きたことを観察した後になるはずです。
参考文献
Anderson, Alyssa, Dave Na, Bernd Schlusche, and Zeynep Senyuz (2022a) “An Analysis of the Interest Rate Risk of the Federal Reserve’s Balance Sheet, Part 1: Background and Historical Perspective”, FEDS Notes, Board of Governors of the Federal Reserve System, 15 July 2022
Anderson, Alyssa, Dave Na, Bernd Schlusche, and Zeynep Senyuz (2022b) “An Analysis of the Interest Rate Risk of the Federal Reserve’s Balance Sheet, Part 2: Projections under Alternative Interest Rate Paths”, FEDS Notes, Board of Governors of the Federal Reserve System, 15 July 2022
Archer, D and P Moser-Boehm (2013) “Central bank finances”, BIS Papers, No 71, April 2013
Bank of England (2023) “Asset Purchase Facility Quarterly Report – 2023 Q1”, 28 April 2023
Bell, Sarah, Michael Chui, Tamara Gomes, Paul Moser-Boehm and Albert Pierres Tejada (2023) “Why are central banks reporting losses? Does it matter?”, BIS Bulletin, No 68, 7 February 2023
Board of Governors of the Federal Reserve System (2022) “Federal Reserve Banks Combined Financial Statements As of and for the years ended December 31, 2022 and 2021 and Independent Auditors’ Report”
Board of Governors of the Federal Reserve System (2023) “Financial Accounting Manual for Federal Reserve Banks”, January 2023
Bonis, Brian, Lauren Fiesthumel, and Jamie Noonan (2018) “SOMA’s Unrealized Loss: What does it mean?”, FEDS Notes, Board of Governors of the Federal Reserve System, 13 August 2018
Bukhari, Meryam, Alyssa Cambron, Marco Del Negro, and Julie Remache (2013) “A History of SOMA Income”, Liberty Street Economics, Federal Reserve Bank of New York, 13 August 2013
Bullock, Michele (2022) “Review of the Bond Purchase Program”, Speech for Bloomberg, Reserve Bank of Australia, 21 September 2022
Bundesbank (1976, 1977, 1978, 1979, 1980) “Report of the Deutsche Bundesbank for the Year 19xx”, Annual Reports
Bundesbank (2023) “Annual Report 2022”, 1 March 2023
Cipriani, Marco, James Clouse, Lorie Logan, Antoine Martin, and Will Riordan (2022) “The Fed’s Balance Sheet Runoff and the ON RRP Facility”, Liberty Street Economics, Federal Reserve Bank of New York, 11 April 2022
English, William B. and Donald Kohn (2022) “What if the Federal Reserve books losses because of its quantitative easing?”, The Brookings Institution, 1 June 2022
European Central Bank (2023) “Annual Report 2022”, 25 May 2023
Federal Reserve Bank of New York (2023) “Annual Report on Open Market Operations During 2022”, April 2023
Nordström, Amanda and Anders Vredin (2022) “Does central bank equity matter for monetary policy?”, Staff Memo, Sveriges Riksbank
Sveriges Riksbank (2023) “Annual Report for Sveriges Riksbank”, 20 March 2023
Ueda, Kazuo (2003) “The Role of Capital for Central Banks” Speech at the Fall Meeting of the Japan Society of Monetary Economics on October 25, 2003
池尾和人 (2010) 『現代の金融入門【新版】』、ちくま新書831、筑摩書房
岩田一政、左三川郁子、日本経済研究センター (2016)『マイナス金利政策: 3次元金融緩和の効果と限界』、日本経済新聞出版社
岩田一政、左三川郁子、日本経済研究センター (2018)『金融正常化へのジレンマ』、日本経済新聞出版社
岩村充 (2018) 『金融政策に未来はあるか』、岩波新書1723、岩波書店
翁邦雄 (2017) 『金利と経済―高まるリスクと残された処方箋』、ダイヤモンド社
小林慶一郎(編著)(2018) 『財政破綻後: 危機のシナリオ分析』、日本経済新聞出版社
齊藤誠、岩本康志、太田聰一、柴田章久 (2010) 『マクロ経済学』、New Liberal Arts Selection、有斐閣
白川方明 (2008) 『現代の金融政策: 理論と実際』、日本経済新聞出版社
高田創(編著)(2017) 『シナリオ分析-異次元緩和脱出: 出口戦略のシミュレーション』、日本経済新聞出版社
門間一夫 (2022) 『日本経済の見えない真実 低成長・低金利の「出口」はあるか』、日経BP
フィデリティ投信ではマーケット情報の収集に役立つたくさんの情報を提供しています。くわしくは、こちらのリンクからご確認ください。
https://www.fidelity.co.jp/
当資料は、情報提供を目的としたものであり、ファンドの推奨(有価証券の勧誘)を目的としたものではありません。
当資料は、信頼できる情報をもとにフィデリティ投信が作成しておりますが、その正確性・完全性について当社が責任を負うものではありません。
当資料に記載の情報は、作成時点のものであり、市場の環境やその他の状況によって予告なく変更することがあります。また、いずれも将来の傾向、数値、運用成果等を保証もしくは示唆するものではありません。
当資料にかかわる一切の権利は引用部分を除き作成者に属し、いかなる目的であれ当資料の一部又は全部の無断での使用・複製は固くお断りいたします。
QUICK Money Worldは金融市場の関係者が読んでいるニュースが充実。マーケット情報はもちろん、金融政策、経済情報を幅広く掲載しています。会員登録して、プロが見ているニュースをあなたも!詳しくはこちら ⇒ 無料で受けられる会員限定特典とは