【QUICK解説委員長 木村貴】日銀がようやく、マイナス金利を解除した。株式相場にとって利上げは逆風とされるが、長い目で見れば良い効果をもたらす。人為的に抑え込まれた不自然な低金利は、産業の新陳代謝を妨げるし、株価をカネ余りの力で過剰に押し上げ、不安定にするからだ。金融の正常化とともに、株式市場でも個々の企業の実力をきちんと問う「正常化相場」が始まる。
「金利のない世界」が招いたもの
先日都内の韓国料理店で飲んでいたら、隣のテーブルで中高年女性2人がスマホの画面を見せ合いながら、話に花を咲かせていた。「アプリでFX投資やってるの」「ニーサって話題ね」
ほほえましい半面、数年前に他界した母を思い出し、複雑な気持ちになった。母はやりくり上手が自慢だったが、20年ほど前、ストレスで一時まいってしまった。当時はすでに定期預金の金利が0%近くに下がり、父の定年退職後、家計の足しにと当てにしていた利息がほとんど入らなくなったからだ。
今では信じられないかもしれないが、1990年前後に定期預金金利は年5%以上あり、6%を超えるときもあった。こつこつお金を貯めれば、それなりの利息収入が家計の助けとなり、レジャーの足しになった。バブル期とはいえ、当時の金利水準が過去に比べ異常に高かったわけではない。いくら勤勉にお金を貯めても報われない、今の金利が異常なのだ。
母は株式投資に縁がないままだったが、「金利のない世界」では、そう悠長に構えていられる人ばかりではない。現に今、これまで経験のなかった人が、将来の不安に少しでも備えようと情報を集め、株式などの投資を始めている。政府も少額投資非課税制度(NISA)でお膳立てを整え、多額の個人マネーが株に向かう。これは株式市場やその関係者にとって金融緩和のメリットかもしれないが、深刻なデメリットもある。
妨げられた新陳代謝
新NISAで人気を集めているのは米国株で、その中でもエヌビディア、テスラなど90年代以降に創業して急成長した若いハイテク企業だ。一方、日本株でかろうじて買われているのは、旧国営企業のNTTや日本たばこ産業(JT)など。他も昔ながらの大企業が大半で、安定感はあるものの、米国に比べ新陳代謝の遅さは歴然としている。
こうなった原因の一つは、異例の金融緩和政策そのものにある。経済が発展するためには、市場での自由な競争を通じ、消費者のニーズにうまく応えられない企業が淘汰され、応えられる企業に人材・資本がシフトしていかなければならない。人材・資本には限りがあるからだ。経済学者シュンペーターは、資本主義経済の発展に欠かせないこの新陳代謝の過程を「創造的破壊」と呼んだ。
ところが中央銀行が無理やり金利を抑え込むと、この過程が妨げられる。自然な高い金利では淘汰されるはずの生産性の低い企業がいつまでも生き残り、成長産業に人材・資本が移っていかないからだ。そもそも金融緩和の目的の一つは、経営の苦しい企業の資金繰りを支援することにあるのだから、当然の結果ではある。
会社がつぶれないのは良いことのように思えるかもしれない。だが、それには人材・資本の無駄遣いというコストを伴う。その象徴が、金融機関によるリスケ(融資条件の変更)や政府による資金繰り支援などで延命している「ゾンビ企業」だ。2022年度には前年度比3割増の約25万社に急増した。
ゾンビとまではいかなくても、金融緩和のおかげで経営効率化に着手しなくて済んでいる会社はもっと多いだろう。創造的破壊とは正反対の状態だ。スケールの大きな有望企業が育たないのも無理はない。
企業業績は好調だからいいではないか、と思うかもしれない。けれども、その企業業績そのものが、金融緩和によってかさ上げされている。中央銀行が新たに供給したお金は企業の売上高を増やす。一方、企業のコストは、減価償却で資産コストの計上年数が分散されるなどの影響で、売上高よりも増加が遅れる。だからインフレ期に利益は増えやすい。
満額やそれ以上の回答が続出した「異次元賃上げ」も同様に、マネーの量が増えたから可能になっている面がある。それにしても政府が企業に賃上げを呼びかけ、賃金交渉に実質介入するとは、自由な市場経済の国にふさわしいとは思えない。将来景気が悪化した際、政治的な配慮から下げるに下げられない人件費が重荷となり、業績を圧迫しないか気がかりだ。
銘柄選別の局面に
個々の株価はそれぞれの需給によって上下するけれども、相場全体の動きは株式市場に流入するマネーの量に左右される。マイナス金利解除で日銀の供給するお金の量の伸びが鈍り、それが株式市場に影響すれば、相場は上昇ピッチが鈍るか、下落する可能性がある。
それは長い目で考えれば悪いことではない。金融が正常化に向かい、産業の新陳代謝が活発になれば、実力のある企業に人材・資本がシフトし、成長に弾みがつくだろう。その企業がすでに上場していれば、相場全体の下落につられて株価が安くなる局面は、良い買い場となるはずだ。米著名投資家ウォーレン・バフェット氏が常々口にするように、株式投資の極意とは、いい銘柄を見つけて、いいタイミングで買い、いい会社である限り持ち続けることに尽きるのだから。今は株価指数への連動を目指すインデックス投資が全盛だが、銘柄を選別するアクティブ投資が見直されるかもしれない。
マイナス金利が解除されたといっても、QUICKの外為月次調査によれば、来年3月末の政策金利水準は0%との予想が最も多い。これで金融正常化とはいいにくいが、少なくともそのとば口に立ったとはいえる。
心配なのは、景気への配慮を理由にゼロ金利がいつまでも続いたり、マイナス金利に逆戻りしたりすることだ。景気は目先良くなり、それを手柄にしたい政治家は喜ぶだろうが、その間、産業の新陳代謝はまた遅れることになる。マイナス金利解除が、日本経済の停滞に別れを告げ、妨げられてきた創造的破壊にかじを切るきっかけになるよう、祈りたい。