「情報が大量に入る時代だからこそ、自らの知識を磨き(世間の)常識を疑う」。三菱UFJモルガン・スタンレー証券の芳賀沼千里チーフストラテジストはこう強調する。1982年に証券業界に足を踏み入れて以降、成功と失敗を経て得た投資への教訓は「世の中の常識が、本当に正しいか否かの検証の必要性だ」と指摘する。【聞き手は日経QUICKニュース(NQN)松井聡】
芳賀沼千里(はがぬま・ちさと)氏
1982年東大教養卒、野村証券入社。87年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済修士号取得。2010年から三菱UFJモルガン・スタンレー証券
■株価チャートに隠れた人間のドラマ
私の証券会社でのキャリアは1982年の野村証券から始まった。国内営業担当となり三重県四日市市に配属され、2年半を営業担当として過ごした。営業の現場で、生で感じる投資家の人間味や弱さを実際に見たことで、チャート上で常に動く株価の中に人間の隠れたドラマがあると気づかされ、貴重な経験となった。
2年間の留学を経て、87年にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済修士号を取得した。当時の証券会社では営業が重要視されており、私自身も将来は海外営業担当になれればと思っていた。正直言って、ストラテジストになるとは思ってもいなかった。
だが、帰国後に転機が訪れる。配属されたのが投資調査を担当する部署だったためだ。当時はまだストラテジストという呼び名ではなかったが、プロの機関投資家向けに企業情報を提供したりリポートを作成したりした。アシスタントを含め7~8人のチームが作られており、チームのトップは後に田辺経済研究所を創設する田辺孝則氏だった。田辺氏は私のストラテジスト人生に大きく影響を与えた人物だ。
■自分が買いたくないものは勧めない
「自分の買いたくないものは勧めるな」。当時、田辺氏に一貫して言われたことだ。普通の言葉に聞こえるかもしれないが、当時の証券業界ではどうしても強気な株価予想を言う傾向があった。株価が上がれば取引量が増え、証券会社の収益が上がるためだ。だが彼はそういうことは全く関係なく「何が正しいか」を常に重視していた。この言葉は今も私の根底にある。
ストラテジストとして印象に残っているリポートがある。私が96年10月に出した「日経平均株価が2万円割れする」との内容のリポートだ。当時の日本はまだ「PKO(プライス・キーピング・オペレーション)」とよばれる、政府による株価維持策が続いていると信じられていた。市場関係者の間では「2万円割れはない」との見方が多かった。
だが、私は「企業業績の回復が緩慢である理由は、景気の弱さよりもコスト削減効果の一巡であり、業績の下方修正リスクがある」と判断し、あえて弱気なリポートを書いた。リポートに対し多くの批判があったものの、96年末には実際に日経平均は2万円を割り込んだ。勇気がいるリポートだったが、客観的に分析することは重要であると学ぶことができた。
■リポート執筆、成功も失敗も
もちろん、成功だけでなく失敗も多くあった。同じ96年の8月、私は「日本で成長株投資は難しい」という内容のリポートを出した。時系列でみると、高収益の会社の株価が相対的に低下し、低収益の会社で上向く傾向が観察されるという内容だ。低PBR(株価純資産倍率)株を重視する投資は、長期的なリターン・リバーサル(資金の巻き戻し)の効果を受けられると判断した。だが、私の分析とは反対にPBRが高い成長株が上昇し続け、翌年、いわゆる二極化相場が起こった。
私が約37年の成功と失敗の経験を通して投資家に伝えたいのは「自らの知識を磨いて得た『常識』をもって世間の『常識』を疑う」ということの重要性だ。例えば、昨年10月の株価急落局面だ。当時、リスクを分散する「リスク・パリティ」戦略などの需給面での動きや、米国の長期金利の急上昇が要因とされていた。
だが、本当にそれは正しいか。視点を変えて米国市場の業種別の株価の動きを見ると、昨年6月までは景気敏感株が買われ、その後は電力・公益というディフェンシブ株が買われていた。つまり、マーケットは景気減速について心配していたのではとみている。この作業は難しいことではなく、事実とされたことを客観的な視点で検証し直すことの重要性を認識して欲しい。そこにこそ、投資の面白みがあると考えている。
(おわり)