「黒子」日銀のあるべき姿を問う
まもなく「令和」の時代が幕をあける。一方、日銀は長短金利操作付きの量的・質的金融緩和を粘り強く続ける構えで、終わりが見えない。日銀で高松や仙台の支店長を歴任し、現在は東京証券信用組合の理事長を務める八尾和夫氏は「突然のマイナス金利政策は日銀マンだった私も本当に驚かされたが、日銀の政策がここまで世の中を騒がせるのは過去になかった」とサプライズ続きだった平成終盤の政策対応に戸惑いを隠さない。
やお・かずお 1975年に日本銀行に入行し、留学、北京勤務などをへて人事局研修課長や情報サービス局広報課長を務める。98年1月から高松支店長、2002年5月から仙台支店長を歴任後、05年6月に全信組連の専務理事に転じた。11年6月に中央労働金庫の常勤監事に就いた後、15年6月から現職
◆あっという間に崩れるのがマーケット
日銀のマイナス金利政策には参った。導入が決まった2016年から我々が手掛ける証券金融の世界にまで、新たな収益源を求める地方の銀行などが参入してきた。我々よりも低い貸出金利を提示し、利ざやは縮まった。
半面で資金需要はさほど刺激されず、貸し出しの量は増えない。単純に金融機関の利ざやを落とす「効果」ばかりが目立つ。金融機関の経営者は業態にかかわらず軒並み頭を抱えているはずだ。
金融緩和の出口はいずれ来る。スムーズに着地できればよいが、株や債券など金融市場の先行きに気をもむ市場関係者は少なくない。だからといって今の時点で運用をゼロにするわけにはいかず、株買い、債券買いの持ち高は膨らんでいく。転換点で起きる衝撃が大きくならないよう願うばかりだ。
きっかけは何にせよ、あっという間に崩れるのがマーケットの歴史だ。日本人が9割保有しているから問題ないといわれる日本国債であっても安心してはいられない。
◆政治に振り回されている
ここ数年は一般のメディアでも日銀の一挙手一投足を追いかけているが、こんなに日銀に関心が高まることはかつてなかった。金融政策は本来、世の中が過激な方向に傾かないよう調整したり、時間稼ぎをしたりするものだ。日銀は黒子のように、任せておけば知らないうちにうまくやってくれる、そういう信頼される存在であって欲しい。
1998年4月の日銀法改正は「大蔵省本石町出張所」(日銀本店の住所は日本橋本石町)とも称された日銀に、きちんと権限と責任を持たせて独立させるべきだとの機運が高まったからだ。では日銀は一体どこを見ることになったか。国民とその代表である国会だった。それ自体はあるべき姿なのかもしれないが、昨今はかなり政治に振り回されている感じがする。
昭和の時代は首相ですら(当時の政策手段である)公定歩合に触れるのはご法度だった。それも今は昔。日銀には、短期的な視点に偏りがちな政治とは距離を置き、中長期的な観点から政策を打ち出すことが本来は求められているのではないか。
◆「デフレ脱却」は何を示すのか、「物価上昇」で何を目指すのか
日銀の中には2つの広報部門がある。マスコミ向けの対応をする専門部署の企画局広報と、マスコミを除く広報業務を手掛ける情報サービス局だ。
日銀も主体的に自ら発信をしていこう――。90年、国内外に向けての情報発信や外部からの問い合わせや要望などの窓口となる情報サービス局ができた。97年にホームページの開設にこぎつけ、スクリーンに映るパソコン画面を示しながらの記者発表では「画期的な仕組みだ」と感嘆の声があがった。
97年といえば北海道拓殖銀行や山一証券など大きな金融機関が相次いで破綻に追い込まれた。情報サービス局には「日銀の政策が悪いからではないか」と直接お叱りの電話がかかってきた。それでも開かれた日銀を目指そうとの姿勢は変わらなかった。
98年1月に赴任した高松支店長時代は、日銀に対する幅広い理解を得ることの大切さを痛感した。四国地方では都市圏ほどバブルの後遺症はなかったもののさまざまな金融不祥事が報じられるなか、日銀への風当たりもかなり強かった。「豪華すぎる」と批判を受けた支店長舎宅を引き揚げるとテレビのワイドショーにも取り上げられた。
仙台支店長を務めていた2002年、金融再生プログラムが発表され急速な不良債権処理が進むなか、「銀行も破綻やむなし」といった雰囲気が広がり続け、株価も急落した。03年にりそな銀行への公的資金注入が決まり、ようやく株価は底を打ったが、経済の先行きは読めない。地元経済界との懇談などで何と説明したらよいのか本当に苦しく、体調を崩してしまったほどだ。それでもいろいろと考えを巡らし、自分の言葉で語り続けた。
当時、政治は株価が上がると「政策が良かったから上がる」と都合のいいようにアピールし、株価が下がると「マーケットはマーケットが決めるから仕方ない」という。政治の動向も、相場決定の重要な一因となるはずだが……。
ところで「デフレ脱却」とはいったい何を示すのだろう。単なる貨幣現象なのか、経済活動の本質そのものなのかが曖昧に聞こえる。物価さえ上がればよいというものではなく、経済の活性化を通じて潜在成長率を高めることが大切だろう。
令和の時代に向け、より長期的で総合的な政策を展開していってほしい。
=聞き手は日経QUICKニュース(NQN)片岡奈美
=随時掲載