NQN香港=安部健太郎
香港政府への抗議デモのきっかけとなっていた「逃亡犯条例」改正案を、政府トップの林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官がついに「正式に撤回する」と表明した。一時的に株価は急反発したが、「撤回」はデモ隊が掲げた「五大要求」のひとつに応えたにすぎず、抗議活動が収束するかは不透明だ。観光や小売りをはじめ香港経済の低迷はなお続くとの見方が根強い。
「五大要求」は、容疑者の中国本土への移送を可能にする条例改正案の「撤回」のほか、「警察のデモ隊への武力行使に関する独立調査委員会の設置」、一連の抗議活動での「逮捕者の訴追見送り」、「抗議活動を暴動とした政府見解の取り消し」、有権者が1人1票を投じる「普通選挙の導入」だ。デモ隊は13日を回答期限としていた。
林鄭長官のこのタイミングでの「撤回」表明は、新中国成立70周年となる10月1日の国慶節(建国記念日)を前に、中国政府の意向を組んで事態の沈静化を急ぐ狙いがあったとみられる。5日午前の同氏の記者会見によると、「撤回」に踏み込むことで市民との対話を進める糸口にしたかったようだ。だが改正案はすでに6月に「事実上凍結」されていたうえ、他の4大要求には応じなかった。
香港株式相場はひとまず「撤回」を好感。「撤回」の見通しが報道された4日にハンセン指数は前日比3.9%高の2万6523で終えた。5日は午後に利益確定の売りが出て下げたものの、午前は堅調に推移していた。大和キャピタル・マーケッツ香港の熊力ストラテジストは「抗議デモが本格化した6月以降、中国本土株に比べ香港株は割安感が強まっていた。条例改正案の撤回は、本土株と比べた割安感の解消に向かう一因になる」とみており、ハンセン指数は2万8000程度まで持ち直す可能性があると指摘する。
香港の六福金融の黄威アナリストも「撤回表明は市場に与えた安心感が大きい」と話す。そのうえで、ハンセン指数は「2万6800までは回復するだろうが、2万7300は短期的な上値抵抗線になる。この水準を突き抜けられるかどうかは過激化している抗議活動が落ち着いていくか次第だ」とみる。
抗議活動が収束に向かうかどうかは不透明感が強い。2014年の民主化デモ「雨傘運動」のリーダーだった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏は「抗議活動をやめることはできない」と表明。200万人(主催者発表)が参加したデモなどを呼びかけてきた「民間人権陣線」も「要求がすべて実行されるまで闘い続ける」との構えだ。4日夜にはさっそく、林鄭長官の回答に不満を持った若者の一部が警官隊と衝突したり、地下鉄駅の改札を破壊したりする騒動も起きた。
抗議活動は香港経済にとっては重荷となっている。4日に英調査会社IHSマークイットが発表した8月の香港購買担当者景気指数(PMI)は40.8に低下し、09年2月以来の低さとなった。7月の小売売上高は高額品を中心に前年同月比11.4%減少し、同月に香港を訪れた観光客数は同4.8%減った。抗議活動で空港が一時閉鎖された直後の8月15~20日に限れば、観光客数は前年同期と比べ半減したもようだ。
旅行・観光施設運営の香港中旅国際投資の傅卓洋主席は、地元メディアによると2日の記者会見で、香港の政情不安について「長期化すれば我が社だけでなく香港経済は悲惨な状況になる」との懸念を示し、7~8月の同社の香港でのホテル事業収入は前年同期比で3割減ったことを明らかにした。住宅販売にも陰りが見えており、香港政府土地登記処のデータでは8月の住宅売買件数(7月取引分が中心)は前月から15%減少した。
今後は6月の200万人デモのように一般市民が多数参加する大規模なデモは減っていく可能性があるが、過激化した一部の参加者と警察との衝突は散発的に続くとみられる。
香港への観光客は中国人が約8割を占めており、「香港人に敵視されていると不安を感じる中国人が増えており、香港への観光や不動産投資の停滞が続く可能性がある」(大和の熊氏)との見方もある。シティバンクが19年の経済成長率見通しを従来の1.5%から0.9%に引き下げるなど、今年の成長率見通しの引き下げも相次ぐ。米中貿易摩擦の激化もあり香港経済の試練はなお続きそうだ。
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