【QUICK 解説委員長 木村貴】景気に失速の兆しが見えると、政治家や経済評論家の間で、ある四文字熟語が盛んに唱えられるようになる。「財政出動」だ。
財政出動とは、景気の安定・底上げを図る経済政策の一つで、「税金や国債などの財政資金を公共事業などに投資することによって公的需要・総需要を増加させ、国内総生産(GDP)や民間消費などの増加促進を図ること」(デジタル大辞泉)をいう。学校でも、財政政策は景気を下支えする経済対策の一つだと、たいていの人は習ったことだろう。
株式市場では、政府が災害復興などで多額の公共事業費を計上すると、土木、建設機械、電気通信工事など関連銘柄が業績拡大への期待からしばしば買われる。こうしたことから、「財政出動で株は買い」と信じている人は少なくないだろう。
けれども、へそ曲がりのこの連載コラムらしく、あらためて考えてみたい。財政出動は、本当に経済にとってプラスになるのだろうか。また、株式相場にとって本当に買い材料になるのだろうか。
見えるものと見えないもの
たとえ話から始めよう。ある町で、子どもがボールで遊んでいて、パン屋の窓ガラスを割ってしまう。パン屋の主人は怒って飛び出してくるが、子供はもう逃げた後だった。近所の人が集まってきて、パン屋の主人をなぐさめる。「窓を割られたのは運が悪かった。でも悪いことばかりじゃないぞ」
たとえば、ほら、ガラス屋が仕事にありつくじゃないか。新しいガラスを入れる値段が2万円だとすると、それを受け取ったガラス屋は、それを別の店で使うだろう。その店の主人はまたその分を……という具合で、割れた窓ガラスは、次第に大きな範囲で収益と雇用を生むことになる。つまり、ガラスを割った子どもは、町に損害を与えるどころか、利益をもたらしたのだ――。町の人たちはそう考える。
それではここで、もう少しよく考えてみよう。近所の人たちが最初に考えたことは、正しい。子どもがガラスを割ったことで、とりあえずガラス屋の仕事は増える。ガラス屋は喜んだだろう。でもガラスを割られたパン屋の主人は、ガラス屋に払った2万円で、本当は靴屋で新しい靴を買うつもりだった。ガラスはどうしてもはめなければならないから、靴はあきらめるしかない。靴屋も得られるはずだった収入がなくなる。
つまり、靴屋への注文がなくなってガラス屋に注文が来ただけで、新しい収益や雇用はどこにも生まれていない。近所の人たちは、目の前にいるパン屋と、ガラスをはめにくるガラス屋のことしか考えず、靴屋という第三者の存在に思い至らなかった。近所の人たちは翌日にも、パン屋に真新しい窓ガラスが輝くのを目にするだろう。だが注文されずに終わった靴を見ることはない。
これは19世紀フランスのエコノミスト、フレデリック・バスティアの考えた寓話をアレンジしたものだ。この寓話を著書『世界一シンプルな経済学』で紹介した米経済ジャーナリスト、ヘンリー・ハズリットは「人は、直接目に映るものしか見ない」と人間の陥りがちな過ちを指摘する。
経済政策についても同じだ。とかく人間は、政策の目先の効果や特定集団にもたらされる効果だけにとらわれやすい。このため、政策の長期的・間接的影響を見落としてしまう。そのうえでハズリットは、良い経済学者と悪い経済学者の違いをこう説明する。
悪い経済学者はすぐに目に付くものしか見ようとしないが、良い経済学者はそこに見えないものも見ようとする。悪い経済学者は政策の直接的な影響しか見ようとしないが、良い経済学者は長期的な影響や間接的な影響も見ようとする。悪い経済学者は特定集団におよぼす影響しか見ようとしないが、良い経済学者はすべての集団におよぼす影響も見ようとする。(村井章子訳)
そして経済学とは、たった一つの教えに還元することができるという。すなわち「政策の短期的影響だけでなく長期的影響を考え、また、一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考える学問」である。
経済にプラスにならず
それでは、この経済学の勘どころを頭に入れて、財政出動の効果を考えてみよう。
政府が資金を投じて、橋を建設するとしよう。橋の建設を請け負った工事業者だけをみれば、橋を建設しない場合より雇用が増えることは間違いない。だが橋の建設に使われるのは税金だ。橋に使われた予算は1円残らず、納税者が払ったお金だ。橋が100億円かかるとしたら、納税者は100億円失う。つまり納税者は、ガラス代にお金を充てざるをえないパン屋と同じく、本当なら他に使えたはずのお金をこれだけ取られたことになる。
橋の建設に雇われた労働者は目に見えるし、労働者が働くのも見える。このため政府が掲げる雇用創出という名目は説得力を持ち、多くの人が納得しやすい。だがじつは、存在しなかったために目に見えないものがある。それは、納税者が100億円を失ったせいで、生まれなかった雇用だ。
建設プロジェクトで実現したのは、雇用の創出ではなく、せいぜい雇用の転換でしかない。橋の建設労働者が増えた分、住宅建築現場、自動車工場、パソコン工場などで、労働者は減っている。
すると公共工事を支持する人はこういう。立派な橋ができたのだから、その分、国は豊かになった。だからいいではないか、と。
この主張もまた、目に見えないものを忘れた議論だ。橋は目に見えるが、建てられなかった住宅、作られなかった車やパソコンは目に見えない。その分、国は貧しくなる。「生み出されなかったこうしたものを見るには想像力が必要だが、それを持ち合わせている人は少ない」と前出のハズリットは述べる。
結論として、財政出動は経済にとってプラスにならない。関係する一部の産業や企業を税金で潤すかもしれないが、それ以外の産業や企業は、消費者に使ってもらえるはずだったお金を失ってしまう。
お金の量へのブレーキに注意
それでは、株式相場への影響はどうだろうか。すでに触れたように、公共事業の恩恵を受けそうな企業の株は買われ、値上がりすることがある。その意味で、関連銘柄にとって財政出動は買い材料になりうる。実際に受注が増え、業績が拡大すれば、株価上昇は長続きするかもしれない。
けれども、株式相場全体にとっては、財政出動は買い材料とはいえない。公共事業などの関連銘柄に資金が向かう一方で、他の銘柄を買う余力が小さくなるからだ。株式相場全体が上昇するためには、以前のコラムで説明したように、株式市場に向かうお金の量全体が増えなければならない。判断のポイントはお金の量の変化だ。
もし財政出動がお金の量の増加につながれば、株式相場を押し上げる。そのためには政府が財政出動の資金を税金だけで集めるのではなく、国債を発行してまかない、その国債を中央銀行が新たなお金を作り出して買い取ればいい。この方法を「財政ファイナンス」(財政赤字の穴埋め)という。財政規律が失われるため、本来は禁じ手とされる。
良いか悪いかは別として、財政ファイナンスはお金の量が増えるから、株式相場を押し上げる要因になる。いや日本ではすでに、日銀が市場で国債を大量に購入することで、事実上、財政ファイナンスが実施されている。それによって供給された円が株式市場に向かい、日経平均株価がバブル時の史上最高値を更新するまでに相場を押し上げてきたのだ。
だが問題は、いつまで続くかだ。日銀が円の量を増やすほど、円の価値は薄まり、やがて物価高という形で国民の暮らしを苦しくする。それが許容できない水準に達すれば、マイナス金利解除を探る今の日銀がそうであるように、金融引き締めに動かざるをえない。それによってお金の量の増加にブレーキがかかり、さらに減少に転じれば、株式相場は伸び悩み、下落するだろう。
まとめると、財政出動がお金の量の増加につながるうちは、株にとっては「買い」だ。しかし、それにはいつか終わりが来る。
日銀がマイナス金利を解除しても、すぐにお金の量が急激に減るわけではない。それでも株価の下落リスクには十分気をつけておきたい。