【QUICK解説委員長 木村貴】前年10月にニューヨーク株式相場が暴落し、大恐慌の影が忍び寄っていた1930年5月。1028人の経済学者が米大統領に拒否権の発動を求める公開書簡に署名し、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載した。
「(もし関税法が成立すれば)わが国の輸出全般が落ち込むだろう。外国はわが国に物を売ることが許されない限り、わが国から永続して物を買うことはできない。わが国が関税を引き上げ外国からの輸入を規制すればするほど、わが国から外国への輸出はしにくくなる」
経済学者たちが成立阻止を求めたのは、関税を大幅に引き上げたことで悪名高い、スムート・ホーリー関税法である。抵抗むなしく、農業団体や労働組合の支持を受け、翌月の6月に成立した。対象は2万品目以上に及ぶ。関税は平均59%まで引き上げられ、米国史上最高となった。
当時のフーバー大統領(共和党)が関税引き上げに同意したのは、国内景気が低迷するなか、農産物の輸入を抑え、農家の収入を支えようと狙ったからだった。これは貿易の収縮を招き、世界恐慌の引き金を引くことになる。
法律が成立したばかりの時点では、まだ内外経済への悪影響は表れていない。だがそれを予言するような出来事は、株式市場ですでに起こっていた。
株式市場、敏感に反応
米ジャーナリストのジュード・ワニスキー氏は、株式市場が関税法案の審議に早くから敏感に反応していた様子を克明に記している。
最初に不穏な兆しがあったのは、1928年12月だ。同月7日、ニューヨーク・タイムズ紙が、下院歳入委員会の小委員会で関税に関する公聴会が開かれると報じた。これを受け同日、ダウ工業株30種平均は3.12%下落した。
翌1929年の夏になると反関税派が勝利するとの観測が強まり、ダウ平均は9月3日には暴落前の史上最高値である381ドルまで上昇した。だが続く数週間、じりじりと下げに転じる。海外投資家が関税問題を警戒し、資産を処分し始めたためだとワニスキー氏は指摘する。
10月の株暴落にも関税法案の動向が強く影響した。同月21日、上院金融委員会でスムート上院議員(ユタ州)をはじめとする保護主義派共和党議員の作成した関税引き上げ法案が本会議に上程された。自由貿易派共和党議員と民主党議員は共闘し、広範囲の関税引き上げを阻止しようとする。
この争いに株式市場は敏感に反応した。22日に化学品への関税抑制で自由貿易派が勝利すると、株価は大きく上昇。23日にカーバイドへの関税をめぐって共闘が崩れると、その情報が伝わった直後から株価は急落した。
そして迎えた24日の「暗黒の木曜日」。この日株価が暴落したのは午前中で、午後には持ち直したが、その値動きも関税法案の審議と密接にかかわっていた。午前中、上院でカゼイン(牛乳の成分)の関税が引き上げられた。だが午後になると反関税派が巻き返し、他の化学品の関税引き上げを食い止める。終わってみればダウ平均は2.09%の下げにとどまった。もしその後大幅な関税引き上げが回避されていれば、株価の低迷は短期間で終わっていたかもしれないと思わせる展開だった。
実際、株式相場が翌1930年春に上向いた際、買い材料の一つとなったのは、関税法案が廃案になるとの期待感が広がったことだった。そのきっかけは、海外諸国が関税引き上げを警戒し、米政府に圧力をかけたことである。反対を正式表明したのは34カ国にのぼった。
だが諸外国の抗議にもかかわらず、米政府に動きがなかったため、株価は再び下落を始める。法案は6月13日(金)に上院で可決、15日(日)にフーバー大統領が承認の意向を表明し、16日(月)に株価は急落した。同日のダウ平均の終値は前週末比7.87%安の230.05ドル。「悲劇の火曜日」と呼ばれた前年10月29日の暴落時と同水準まで逆戻りしたことになる。株暴落をきっかけに始まった米国の不況は、保護主義による世界経済の収縮を受け、世界恐慌へと悪化していった。
日本の軍国主義化招く
当時の状況は、現在の米国とよく似ている。トランプ大統領は今週、世界各国からの輸入品に対して「相互関税」をかけると公表した。中国や欧州連合(EU)は対抗措置の構えを見せている。
経済への悪影響を懸念し、大恐慌前夜と同じく過去最高値圏にあった米株式相場は、値を崩している。日経平均株価も昨夏に付けた4万2000円台の最高値から大きく下げている。
大恐慌当時、世界貿易は保護主義の広がりによって急速に縮小した。米経済学者チャールズ・キンドルバーガー氏によると、世界75カ国の月間総輸入額は、1929年1月には30億ドルあったが、33年3月には11億ドルと、ほぼ3分の1に激減した。
スムート・ホーリー関税法のさらに深刻な問題は、国際政治の緊張を招いたことだ。ドイツ政府が自給自足の経済政策を採用することにつながり、第二次世界大戦をもたらす一因となった。日本製品への関税も23%引き上げられ、結果的に日本で自由主義勢力が弱まり、軍国主義に傾くのを後押しすることになった。
輝き増す金
今回のトランプ関税が、大恐慌時のような急速な貿易縮小や深刻な国際対立につながるかどうかは、まだわからない。けれども、わからない、見通しがつかない、ということ自体、経済にとっては良くないニュースだ。
そうした不透明な世界で、異彩を放っている存在がある。金(ゴールド)だ。今週、ニューヨーク先物市場で一時1トロイオンス3200ドルを突破し、最高値を更新した。
金は「安全資産」として知られ、経済的不確実性や金融市場の不安定性が高まったときに買われる傾向がある。国際調査機関ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)は、「金は関税の標的に直接なってはいないが、貿易の不確実性に対する市場の反応が取引行動に大きな変化をもたらし、金価格に影響を与えている」と指摘する。
金は株式と同様、投機資金で価格がかさ上げされている部分があり、短期では乱高下のリスクもある。けれども長期にわたるドルの信認低下に加え、トランプ政権の関税政策で世界経済の先行きに暗雲が立ち込めたことで、その輝きは増している。闇夜のともしびのように、不安を抱く投資家に頼りにされる存在であり続けそうだ。