【QUICK解説委員長 木村貴】古代中国の思想家、孔子とその弟子たちの言行録である『論語』に、こんな話がある。
衛の国では政争が続き、社会秩序も乱れていた。孔子に高弟の子路が「先生が衛に招かれて改革を委ねられたら、まず何をなさいますか」と尋ねた。不穏分子の排除が第一だとか、政争の仲裁をまず行うとかの答えが返ってくると予想していた子路に、孔子はこう答える。「必ずや名を正さんか(せめては名を正すことだね)」
「名」というのは「言葉」である。「この急場にそんなものをどうしてまた正すのです」といぶかる子路に対し、孔子は次のように説明する。
「『名』が正しくなければ言論も順当でなく、言論が順当でなければ諸事はうまくゆかず、諸事がうまくゆかなければ文化も豊かにならず、文化が豊かでなければ法律も適切でなく、法律が適切でなければ民衆の日常生活にも支障が生じるのだ」
評論家の呉英智氏は、孔子のこの発言について、「名」とは個々の単語ではなく、「現実界を正しく秩序づけて認識する論理・規範の体系という意味だ」と指摘する(『言葉につける薬』)。
人間は物事を考えるときに論理、つまり言葉を使うから、言葉が乱れると思考も乱れる。言葉が乱れれば、現実を正しく認識することも、正しく対処することもできない。それは政治の乱れや民衆の暮らしの妨げにもつながる。およそ2500年前に生きたとされる孔子は、言葉を軽んじる態度がもたらす弊害の大きさをいち早く見抜いていた。
本来景気とは関係ない言葉
今の日本でも、言葉の乱れが社会に大きな弊害をもたらしている。それは「ら抜き言葉」でもなければ、何にでも「ヤバい」を使う若者言葉でもない。そんなものの弊害は、あったとしてもたかが知れている。もっと巨大な弊害を招いている言葉がある。それは「デフレ」だ。
デフレとはそもそも何だろう。内閣府は日本経済が「デフレの時代」(2001~2012年)に入ったとされる2001年度の経済財政報告(経済財政白書)で「日本経済は、緩やかなデフレの状態にある」としたうえで、デフレの定義を「持続的な物価下落」という意味だとしている。
注目したいのは、それに続く文章だ。内閣府は「デフレという用語は、我が国では景気後退と物価下落が同時に起こることという意味で使われる場合もある」と指摘したうえで、「しかし、ここでは、国際的に通常使われる上記の定義(持続的な物価下落)を用いている」と断っているのである。
つまり、日本国内ではデフレを「景気後退と物価下落」という意味で使う人もいるけれども、内閣府はそのように景気と関連づけるのを避け、単なる「物価下落」という本来の定義に従って議論を進めたわけだ。これは賢明な判断といえる。景気と物価は別々の現象であり、二つの現象を一つの言葉でまとめてしまったら、議論が混乱するからだ。
しかし、日本でデフレが騒がれ始めて20年以上たった今でさえ、デフレの本来の意味は単に「物価下落」であり、景気とは関係ないと正しく理解している人が、果たしてどれだけいるだろうか。テレビ番組やソーシャルメディアを見ている限り、「景気後退と物価下落」という意味合いで使われるほうが多いと思う。
それどころか、もはや物価とは全然関係なく、単に「不景気(不況)」という意味で使われる場合が少なくない。だからネットで、最近の物価上昇について「デフレ下のインフレ」といった、とんちんかんな発言を見かける。不況下のインフレ(つまりスタグフレーション)と言いたいのだろうが、「物価は上がっているのか下がっているのか、どっちやねん!」と突っ込みたくなる。一般庶民だけでなく、政治家や文化人の認識も大して変わらない。国民を挙げての勘違いである。
物価下落でも経済は成長
物価と景気は別々の現象だ。だから物価下落と同時に経済が成長する場合もある。歴史を振り返ってみよう。
19世紀後半といえば、欧米で経済が急速に発展した時代として知られる。英国では1846年に穀物法が撤廃されて自由貿易体制が確立された。世界中から農産物や工業原料を輸入して工業製品を輸出するようになり、他国を圧倒する繁栄を築く。
米国では南北戦争が終結した1865年以降、大陸横断鉄道の完成で国内市場の結びつきが強まり、電灯や電信・電話など新技術も導入されて「金ぴか時代」と揶揄されるほどの急激な経済成長を遂げる。
それでは、当時の両国の消費者物価はどうだったろうか。まず英国だ。下院図書館のデータ(1974年=100)によると、1846年の9.7に対し1900年は9.2。その間、11以上に上昇したことは一度もない。半世紀の間、ほぼ横ばいだった。年2%の物価上昇を目標とする政府・日銀から見れば、実質デフレだろう。
次に米国だ。ミネアポリス連邦準備銀行のデータ(1967年=100)によると、1865年の46に対し1900年は25だ。35年間で半分近くに下落している。年平均1.73%の下落で、完全なデフレだ。
英米の歴史上、それぞれの黄金時代といえる19世紀後半の経済的な繁栄は、デフレの下で実現した。この事実に照らすと、デフレが経済成長に悪影響を及ぼすという説は説得力に欠ける。
そもそも経済の発展で生産力が高まり、商品やサービスの量が増えれば、お金の量に変化がない限り、物価は下落するのが自然だ。
もちろん、1930年代に米国で起こった大恐慌のように、デフレとともに不況に陥った時期もある。一方で第2次世界大戦終結後は、日米ともインフレとともに経済成長した時期があった。だから「デフレは不況、インフレは好況」という印象が強いのだろう。だが1970年代のように、インフレと不況が同時に起こるスタグフレーションの時期もあったことを忘れてはいけない。
国際決済銀行(BIS)は2015年に発表した報告書で、デフレと経済成長の関連は弱いと結論づけている。38カ国・地域について1870年までさかのぼって調査した結果、デフレは全期間の約18%で発生したことが明らかになったが、経済成長率が大きく低下したのは米大恐慌の時だけだったという。
インフレ退治は後手に
このように歴史上、デフレは必ずしも不況を招くものではなく、むしろ経済成長の結果であることが少なくなかった。
さらにいえば、デフレと不況が同時に起こる場合も、それは以前のバブル景気の反動であり、インフレでゆがめられた経済構造が正常な状態に回復する過程である。デフレを金融緩和で無理に食い止めようとすれば、経済の正常化を妨げ、停滞を長引かせることになる。ノーベル賞経済学者ハイエクは「デフレ過程を逆転させることによって、永遠の繁栄をふたたび手にしうると期待することは明らかに虚しいことである」と強調している。デフレは何もせず放っておくのが最善なのだ。
ところが政府はいまだにデフレ脱却に固執している。石破茂首相は就任後初の記者会見で「デフレ脱却最優先の経済財政運営を行う」と語り、自民党は衆院選公約に同じ文言を盛り込んだ。
【10/2 #日経_朝刊1面】
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) October 1, 2024
石破茂内閣が発足、経済対策指示へ 資産運用立国を継承https://t.co/Xar7rc10Dy
首相は自らの内閣を「納得と共感内閣」と命名。経済政策は岸田前政権を引き継ぎ「デフレ脱却最優先の経済財政運営を行う」と語りました。 pic.twitter.com/gDWs9x3cDK
だが現在、市民がデフレ(物価下落)に苦しんでいるはずはない。苦しんでいるのはインフレ(物価上昇)だ。食品や日用品を中心に多数の商品が値上がりし、物価上昇分を差し引いた実質賃金の伸びは足元で再びマイナスに転じている。政府自身、ガソリン補助金などの物価高対策を実施している。
インフレを止めるには、石破首相が就任前に強調していた金融正常化(利上げ)が必要だが、今ではトーンダウンしてしまった。政府・与党としてデフレ脱却が最優先だと宣言した以上、インフレ退治には動けず、後手に回るしかない。自縄自縛だ。一般市民がその犠牲になる。
デフレを不況と混同する粗雑な言葉遣いと思考が、日本経済に大きな混乱を招いてしまった。政府が今からでも「名を正し」、デフレというあいまいな言葉を使うのをやめない限り、混乱は続くだろう。デフレは経済問題ではない。言葉の乱れという国語問題なのだ。