【QUICK 解説委員長 木村貴】戦争が起こると、株式市場で防衛産業株が注目される。2022年2月にロシアがウクライナで軍事行動を始めた際、米国でロッキード・マーチンやレイセオン・テクノロジーズなど軍需銘柄が買われたのは記憶に新しい。日本でも三菱重工業など防衛関連株が値上がりした。
戦争が起これば、良いか悪いかは別として、兵器やその材料などを製造する企業の収益が拡大し、株価が上昇するのは自然なことだ。一方で経済全体にとって、戦争は有益なのだろうか。専門家の中には、戦争は経済にプラスの効果をもたらすという見方がある。この見方が正しいかどうか、考えてみよう。
第二次大戦が大恐慌を終わらせた?
ポール・クルーグマン氏といえば、ノーベル経済学賞を受賞した有名な米経済学者で、米紙ニューヨーク・タイムズに長年連載するコラムニストとしても知られる。そのクルーグマン氏は2011年3月15日の同紙コラムで、4日前に日本で起こった福島原発事故についてこう書いた。「日本にとってはともかく、少なくとも世界全体にとっては景気拡大につながる可能性がある。おかしな話に聞こえるかもしれないが、流動性の罠(わな)の経済学とはそういうものだ。第二次世界大戦が大恐慌を終わらせたことを思い出してほしい」
「流動性の罠」とは、現在主流のケインズ経済学によって唱えられている説で、金利を下げても銀行などに資金が滞留し、設備投資や個人消費が増えない状況を指す。従来の金融政策は景気刺激の効果がなくなるため、大規模な財政政策などが必要とされる。クルーグマン氏によれば、日本経済は当時、流動性の罠に陥っており、原発事故の事後処理や復興に充てるために政府が多額の国債を発行しても、過剰な貯蓄が吸い上げられるだけで、金利が上昇して景気に悪影響を及ぼす心配はない。むしろ政府支出による景気刺激の効果が勝るというのだ。
同様の例として、第二次世界大戦が大恐慌を終わらせたという。この説はクルーグマン氏に限らず、多くの専門家やメディアによって流布されている。1929年のニューヨーク株大暴落をきっかけに起こった米国の大恐慌は、大がかりな経済対策であるニューディール政策にもかかわらず、なかなか終わらなかった。結局、1939年に始まった第二次世界大戦によって軍事支出が拡大したことで、経済を刺激し、大恐慌を脱したとされる。
公平を期すためにいうと、クルーグマン氏は戦争がいいことだといっているわけではない。結果として経済にプラスの効果をもたらすと主張しているだけだ。けれども、その主張は正しいのだろうか。
戦争は損失と不幸をもたらす
ここで役立つのは、仏エコノミスト、フレデリック・バスティアによる「割れた窓ガラス」の寓話だ。以前紹介したように、パン屋の窓ガラスが割れると、ガラスをはめるガラス屋が儲かり、その町の経済にプラスになるように思える。だが実際には、パン屋の主人は思わぬ出費で、買うつもりだった靴が買えなくなり、靴屋はその分の収入を失う。結局、窓ガラスが割れても町の経済にプラスにはならない。
規模が大きい国の経済でも同じだ。米経済ジャーナリスト、ヘンリー・ハズリットは1946年に出版した著書『世界一シンプルな経済学』でこの寓話を紹介し、「割れた窓ガラスの誤りは、さまざまな偽装で形を変えながらしぶとく繰り返されてきた」と述べる。その一つが「戦争による破壊は利益をもたらす」という主張だ。ハズリットによれば、たしかに第二次世界大戦で戦火に包まれた欧州では戦後、目を見張るようなハイペースの経済成長が実現した。「だがだからと言って、財産の破壊が、破壊された人にとってよかったとは言えない。建て替えが必要になればやる気が湧くからという理由で、自分の家に火を付ける人がいるだろうか」
ハズリットが英歴史家トーマス・マコーリーの言葉を借りて述べるとおり、「国を繁栄させるのは、知識のたゆみない進歩であり、よりよい暮らしを求める人々の営々たる努力である」。またハズリットがいうように、「個人にとって痛ましい体験は、国家を形成する個人の集合にとっても、やはり痛ましいはずだ」。この常識を忘れなければ、戦争による破壊が経済にとって好ましいという倒錯した理論を正しいとは誰も思わないだろう。
ハズリットは、戦時中の技術開発や進歩のおかげで一部の産業で生産性が向上するかもしれないし、いずれは生産性全般の向上が期待できるかもしれないとは認める。だが「こうした状況の変化や複雑さに惑わされて、価値あるものの理不尽な破壊はつねに損失と不幸と災厄をもたらすという基本的事実から目を逸らしてはならない」と強調する。
最近は実証研究でも、第二次大戦が大恐慌を終わらせたという説に疑問が突きつけられている。たとえば、多くの専門家は戦時中に物価上昇を考慮した実質個人消費が増加したと主張しているが、米エコノミストのロバート・ヒッグス氏によれば、この主張は戦時中の物価上昇や製品の品質低下を十分考慮していない。
朝鮮特需からスターリン暴落へ
日本の場合、欧州と同じく、第二次大戦の被害が経済にプラスになったという主張は誤りだが、注意が必要なのは朝鮮戦争の影響だ。大戦終結からわずか5年後の1950年6月に勃発した朝鮮戦争は当時、ドッジライン(緊縮財政)による不況に苦しむ日本経済にカンフル注射となった。日本が米軍を中心とする国連軍の基地となり、軍用資材やサービス、自動車などに膨大な「朝鮮特需」が発生。世界的な戦争景気で輸出も急拡大した。第二次大戦と違い、日本は戦火に包まれることなく、経済上の恩恵だけを受ける形になったから、戦争が経済にプラスになった実例のようにみえる。
しかし視野を少し広げれば、「割れた窓ガラス」の教訓は生きている。日本と朝鮮半島を全体でみれば、戦争は決して経済にプラスにはならなかった。戦場にならず好況に沸いた日本とは対照的に、朝鮮半島では多くの人々が戦火で生命や財産を失い、貧困に陥ったからだ。朝日新聞は1952年11月の記事で「日本はうまくやっている。われわれが血を流して苦しんでいるのに、特需、新特需でヌクヌクと復興してきた」という韓国市民の率直な発言を伝える。
歴史研究者の五郎丸聖子氏は、この記事を著書『朝鮮戦争と日本人 武蔵野と朝鮮人』で引用し、当時はGHQ(連合国軍総司令部)の報道規制により、日本人の多くは朝鮮戦争の過酷な実態を知りえなかったと補足する。そのうえで、たとえ情報が少なくても「自分以外の、あるいは自分の生活圏から離れた人——他者——のことを想像する」ことの大切さに言及する。
これは、経済の実態をとらえるには、すぐに目につくものだけを見るのではなく、「そこに見えないものも見ようとする」ことが重要だと説く、バスティアやハズリットの指摘に通じる。自国の華々しい好況に目を奪われていると、隣国の損失に気づかなくなる。他国の犠牲の上に咲いた繁栄は長続きしない。
日本経済新聞が解説するように、朝鮮特需に沸いた日本では、やがて生産過剰が表面化して多くの業界で操業短縮の動きが始まった。1953年3月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に影響力を持つソ連のスターリン首相の重体が伝わると、朝鮮戦争が終わるとの観測から東京株式相場は当時最大の「スターリン暴落」に見舞われた。同年7月の停戦後、日本経済は特需の終結で反動不況に突入する。
戦争景気には持続性がなく、株価には反動安のリスクがつきまとう。経済の真の繁栄は、平和の下でこそ実現される。