【QUICK解説委員長 木村貴】米国で金本位制の復活論が関心を集めている。日本経済新聞の報道によると、金本位制復活論の「震源地」は米国のトランプ前大統領に近い保守強硬派だという。
金本位制といっても、多くの人は「教科書でちょっと出てきた、昔のお金の仕組み」というイメージしかないだろう。そんなものを21世紀の今になって復活させようというのは、頭が古くて過激な保守強硬派しか思いつかない、とんでもない時代錯誤の暴論だと思うかもしれない。ところが、あながちそうとは言いきれない。
「金と経済的自由は不可分」
金本位制とは、金貨などの金を正式なお金とする制度だ。その下では、政府・中央銀行がお金の量を自由に増やすことはできない。19世紀末から20世紀初めにかけて通貨制度のグローバルスタンダード(世界標準)となったが、現在では採用している国はない。
現在の経済学者やエコノミストに金本位制を支持する人は少ないものの、その中には無視できない識者が含まれる。
その一人は、かつて米国の中央銀行である連邦準備理事会(FRB)で長年(1987~2006年)にわたり議長を務め、「マエストロ」(巨匠)と称賛された、アラン・グリーンスパン氏だ。グリーンスパン氏はまだ40歳の経済アナリストだった1966年、自由主義の思想家アイン・ランドとの共著に論文「金と経済的自由」を寄稿し、金本位制こそ自由社会の成立にとって不可欠だと論じた(以下、グリーンスパン氏の著作・発言の翻訳は村井明彦『グリーンスパンの隠し絵』を参考にした)。
当時筋金入りのリバタリアン(徹底した自由主義者)だったグリーンスパン氏は冒頭で、「金と経済的自由は一体不可分であり、金本位制はレッセフェール(自由放任主義)のツール」だと述べた。続けて、FRB議長時代に「フェドスピーク」と呼ばれた難解な言葉遣いとは対照的に、明快な論旨で金本位制を擁護していく。
同氏は小さな政府を支持する立場から、当時拡大しつつあった福祉国家を「政府が社会を構成する人たちのうち生産的な層から富を没収するメカニズム」だと批判する。福祉国家への批判は「弱者切り捨て」と非難されがちだが、福祉政策へのとめどない支出増が財政難を招き、福祉そのものの質の低下や負担増をもたらしている現状から振り返れば、決して的外れな批判ではなかったといえる。
グリーンスパン氏は続ける。福祉国家を維持するための「没収」の大部分は課税によって実施されるが、単純に増税して国民に負担を求めれば、選挙で不利になる。そこで財政赤字を膨らませ、赤字を埋めるために国債を発行する。
補足すると、国債を買い取るのは主に中央銀行と民間銀行だ。国債を購入するために、中央銀行は現金を増発し、民間銀行は預金を創造する。そうしてお金(現金と預金)の量が増えると、お金の価値が薄まり、物価高を招く。インフレだ。
しかし金本位制の下では、お金の量を増やすのに限界がある。だから福祉国家論者をはじめとする「国家統制主義者」は、金本位制に対して「ほとんどヒステリックな敵意」をむき出しにするのだと、グリーンスパン氏は断じる。そのうえで「金本位制がなければインフレによる没収から貯金を守る手段は存在しない」と金本位制をあらためて擁護し、論文を締めくくる。
「引き写そうと努める」
グリーンスパン氏は大統領経済諮問委員会(CEA)委員長を経て、18年余り務めたFRB議長時代、金本位制を正面切って支持することは少なかった。それでも、その信念をうかがわせる発言をたびたびしている。たとえば1998年、やはりリバタリアンとして有名なロン・ポール下院議員(当時)との議会でのやり取りで、「私は昔の金本位制をどこかノスタルジーをもって眺める珍しい人間の一人です」と述べている。
翌年、ポール議員と下院銀行委員会のレセプションで和やかな雰囲気で同席した際、同議員から、若き日の論文「金と経済的自由」に述べた考えをその後改めたかと聞かれた。グリーンスパン氏は、ごく最近読み返したが一言一句変えるつもりはないと答えたという。
注目すべきことに、グリーンスパン氏は単に金本位制に郷愁を感じるだけではなく、FRB議長としての職務を果たすうえでも、金本位制を手本にしていた。2001年、同じくポール議員への答弁で「適切に機能している中央銀行というものは多くの場合に、金本位制であれば是非なく生じていたはずのものを引き写そうと努めるものです」とコメントした。
世界最強の中央銀行で長年君臨した「マエストロ」が、過去の遺物とされる金本位制を政策指針にしていたとは驚きだ。経済学者の村井明彦氏は、日本でほとんど関心を持たれてこなかったこの立場を「擬似金本位制」と呼ぶ。
グリーンスパン氏にとって、金本位制は決して時代錯誤ではなく、金融政策の手本になりうる優れた知恵を含んでいた。退任後の2007年に出版した回顧録『波乱の時代』でも、「金融政策は、不換紙幣経済であっても「金本位制の制約」を受けているかのごとく動くように運営すべきである」と述べている。
実際、グリーンスパン氏が議長に着任した1987年の平均金価格が1トロイオンス447ドルだったのに対し、退任(2006年1月)直前の2005年は同445ドルとほぼ同水準だった。その間、金価格は比較的落ち着いており、あたかも金価格を固定する金本位制のように、金でみたドルの価値は安定していた。
金価格、7年で約2倍に
とはいえグリーンスパン氏の金融政策が完璧だったわけではない。低金利政策によって2000年のIT(情報技術)バブルの発生と崩壊の原因を作ったと批判されたし、退任からまもない2007年以降、住宅バブル崩壊に端を発する世界金融危機が発生し、やはり議長時代の金融緩和が一因と指摘された。
ポール議員は2001年の議会質問でグリーンスパン氏に対し、中央銀行の裁量でお金の量を増減する金融政策は、金本位制と違い、人間本性が政策当局のせいで誤って導かれると指摘した。グリーンスパン氏は「できるだけのこと」をすると答えたが、結果からみれば、金本位制をまねるだけの擬似金本位制の限界が露呈したといえよう。
それでもグリーンスパン氏は、金本位制によってお金の量のとめどない増加に歯止めをかけないと、インフレによって財産権が侵害され、個人の自由が奪われることを理解していた。そのうえで公人のFRB議長としては、金本位制の復活ではなく、人工的な再現を目指した。中央銀行トップとしての功罪はあるが、思想的には筋を通そうとした生き方だったろう。
金本位制、高値の裏でうごめく復活論 トランプ派が主張https://t.co/7RRXU0grEK
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) July 17, 2024
グリーンスパン氏は2017年、国際調査機関ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)の刊行物で「インフレの大幅な拡大は、最終的に金の価格を上昇させるだろう。今、金に投資することは保険だ」と述べた。当時の金価格は1トロイオンス約1260ドルだった。その後7年たった現在、2400ドル超の過去最高値を付け、2倍近くになっている。
金高騰の背景には、急膨張する政府債務を背景としたドル不安がある。かりにトランプ氏が次期大統領になれば、その周辺で強まる金本位制復活論が勢いを増し、一段の金価格上昇につながる可能性もある。現在98歳のグリーンスパン氏は、先行きをどう見ているのだろうか。