【QUICK解説委員長 木村貴】クリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』は、同名のノンフィクションを原作とする映画だ。日米両軍が死闘を繰り広げ、太平洋戦争最大の戦闘といわれる硫黄島の戦いを題材としているが、普通の戦争映画とは異なり、戦争の舞台裏にも焦点を当てる。舞台裏とは、戦費の調達だ。
宣伝に利用された「英雄」たち
1945年の2月から3月まで続いた硫黄島の戦いの最中、激戦地となった摺鉢山の頂上に6人の米兵が星条旗を立てた。その劇的な瞬間を撮影した写真が新聞の1面を飾ると、米政府幹部は「使える」とほくそ笑む。戦費を調達する国債の販売キャンペーンに利用しようと考えたのだ。
写真撮影後も硫黄島の戦闘は続いており、旗を立てた6人の兵士のうち3人は戦死した。生き残った3人は首都ワシントンに呼び戻され、財務省の役人から戦時国債の宣伝を頼まれる。役人はその背景をこう打ち明ける。「前回は国債がまったく売れず、紙幣を増刷した。ドルは今や紙くず同然。純金でないと石油も買えん」
少し解説しよう。真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まってすでに3年以上が経ち、米国民の間には厭戦ムードが広がり、戦時国債の売れ行きも落ちていた。とはいえ増税はますます世論の反発を招くし、国債も売れないとなると、中央銀行を通じてドル紙幣を増刷するしかない。その結果、インフレになり、ドルの価値が下落する。産油国はそんなドルを受け取ろうとせず、石油の対価として金(ゴールド)を求める。当時、通貨として金を用いる「金本位制」が国家間ではまだ健在だったからだ。この状態が続くと米国は貴重な金を失う一方だから、何とかドル増刷に頼らず、国民に国債を買わせて戦費を集めなければならない、というわけだ。
米国の勝利を象徴するような「硫黄島の星条旗」の写真は、国民の士気を一気に高めた。3人の兵士は国中を回って国債購入を訴え、資金集めを成功に導く。だが自分たちだけが生き残って英雄扱いされることに罪悪感を覚え、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ。庶民出身の兵士たちの沈鬱な表情とは対照的な、「英雄」を最大限利用しようとする政治家たちの高笑いが、戦争の醜い現実を映し出す。
国債は戦争を長引かせる
資金調達の成功もあり、米政府は対日戦争を続け、空襲や沖縄戦、広島・長崎への原爆投下を経て、日本を無条件降伏に追い込む。けれども、それは米国の兵士たちやその家族にとって本当に良いことだったのだろうか。
もし国債という調達手段がなかったら、戦費はもっと早く底をつき、和平の道を探らなければならなかっただろう。そうなれば、日本に大勝はできなかったかもしれないが、兵士が沖縄戦などでさらに命を落とすことはなかったはずだ。一方で、日本側の多くの兵士や市民も死なずに済んだだろう。国債は戦争を長引かせ、犠牲者を増やした。
政府は昔から戦費をしばしば国債で賄ってきたが、それに異を唱える有力な識者もいた。18世紀の哲学者カントは著書『永遠平和のために』で戦時国債の禁止を呼びかけた。カントは「国債の発行によって戦争の遂行が容易になる場合には、権力者が戦争を好む傾向とあいまって(略)永遠平和の実現のための大きな障害となる」(中山元訳)と述べる。さらに「国債を発行しつづけた国家が破産するのは避けられないことであり、これは国債とはかかわりのない諸国をまきこんで、公的な損害を与えることになる」とも指摘する。
カントがいうとおり、国債は戦争を容易にする。それは戦争を望む政府にとっては好都合だが、戦場に送られる若者やその家族にとってはそうではない。明らかな自衛など納得のいく理由なら、国民の多くは進んで戦費を税金で収めるだろう。納得させにくい戦争だから、国債に頼らざるをえなくなるのだ。硫黄島の米兵たちは、なぜ故郷を遠く離れた絶海の孤島で戦わなければならないのか、疑問に思う瞬間があったに違いない。
しかし第二次世界大戦が終わった後も、米国は国債に戦争の資金を頼り続けた。それは高く掲げた星条旗に影がさすように、米国の経済力とドルの信認を蝕んでいく。
解き放たれた野獣
戦後の国際通貨体制は、金との交換を保障されたドルが基軸通貨となり、他の通貨はドルとの交換比率(為替相場)が固定される「金ドル本位制」となった。金本位制の一種だ。ブレトンウッズ体制ともいう。やがて米経済とドルは力を失い始める。とくに響いたのはベトナム戦争への関与だ。戦費を国債発行とドルの増発に頼ったのが響き、1960年代末にはインフレと貿易赤字に悩まされるようになる。
米国は、ドルを金に交換するよう求める各国の要求に対応できなくなり、ついに1971年、金ドルの交換を突然停止する。「ニクソン・ショック」と呼ばれる、金本位制の廃止だ。これで金などの実物商品を裏付けとする通貨はなくなり、不換紙幣の時代に突入した。
米国は金の保有高に縛られず、ドルを自由に発行し、大量の国債の一部を事実上引き受けることができるようになった。マネーの濫造に歯止めを失った米国は、解き放たれた野獣のように、国債という借金の山を築きながら、軍拡を加速し、相次ぐ戦争に乗り出していく。
冷戦末期のレーガン政権下で国防費を増やし、政府債務が1兆ドル弱から3兆ドル近くまで3倍に膨らんだ。冷戦終結後の湾岸戦争、ユーゴ内戦介入から、「テロとの戦い」を掲げたアフガニスタン戦争やイラク戦争、ソマリア、リビア、シリア内戦への介入、ウクライナ、イスラエルへの軍事支援など現在進行中のものを含め、米国の関与する戦争はとどまるところを知らない。
米政府債務はまもなく35兆ドルを超えるとみられている。経済規模も拡大しているとはいえ、福祉支出の膨張も加わり、債務残高の国内総生産(GDP)に対する比率は、50%以下で推移していた90年代から、今は約100%に上昇している。
帝国は自滅する
2024年大統領選は民主党候補のハリス副大統領、共和党候補のトランプ前大統領の対決となり、トランプ氏が勝利した。米国の元議員ら超党派で構成する「責任ある連邦予算委員会」が先月公表した試算によれば、2035年度の政府債務残高の対GDP比は、トランプ政権ではハリス政権(133%)を上回る142%に膨らむ見通しだ。
ドルの一段の信認低下を見越してか、金価格は高騰している。米国市場で先月、金先物の中心限月は1トロイオンス2800ドル台の史上最高値を記録した。ニクソン・ショックから半世紀余り、無限に作れる不換紙幣という壮大な実験は失敗に終わり、信頼できるお金として金が復権する日は遠くないかもしれない。
ロシアや中国の中央銀行は最近、金を盛んに買い集めている。両国を中心とする新興国グループBRICSが金などの商品を裏付けとする新通貨を創設し、ドルに代わる国際決済通貨にするとの構想も取り沙汰される。うまく運ぶかどうかは未知数だが、ドルの信認低下が加速すれば、その代替候補になりうる。一方、米国よりも財政悪化が深刻な日本の円は、ドルよりも速く価値を失う恐れがある。
米政府はロシアや中国を自らの覇権を脅かす存在として敵視し、軍拡の口実にする。だが米国が衰亡するとしたら、その責任はロシアにも中国にもない。古代ローマ帝国が金貨や銀貨の品質を引き下げ、インフレで滅びたように、ドルという自国通貨を劣化させたことで自滅するのだ。
銃撃後のトランプ氏「奇跡の1枚」 大統領選に影響もhttps://t.co/OZSWxwbWp0
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) July 14, 2024
トランプ前大統領は7月、選挙集会中に銃撃された際、星条旗を背景に血を流しながら拳を突き上げ、その決定的瞬間をとらえた写真は、「硫黄島の星条旗」を思わせると話題になった。返り咲きを決めたことで、銃撃時の写真は勝利を象徴するものとして、あらためて注目されるだろう。
大統領という英雄に米国民が熱狂すればするほど、硫黄島の英雄に酔いしれたときのように、政府は新たな戦争などに予算を浪費しやすくなる。それはさらなる債務の膨張、通貨の信認失墜を招く。この悪しき習慣を改めない限り、トランプ次期大統領がどれだけ米国を再び偉大にしようと訴えようと、ドルの栄光は戻らないだろう。