【QUICK解説委員長 木村貴】「デフォルト」という言葉には大きく2つの意味がある。1つはコンピューター用語で、「初期設定」「規定値」という意味だ。ここから転じて、日常生活で「定番の」「標準の」といった意味でも使われる。バイトルマガジンBOMSには「彼とのデートはいつも映画鑑賞がデフォルト。たまには違うことをしたいな」という、幸せそうな例文が載っている。
もう1つの意味は、あまり幸せにはならない。「債務不履行」「支払いを怠ること」である。今回は申し訳ないが、デートのスポット選びではなく、こちらの無粋な経済用語を取り上げたい。
早いほうが痛みは小さい
米国債は昨年5月、史上初めてデフォルト(債務不履行)に陥りかけた。政府の債務上限の効力を一時停止する時限立法が成立したことで、実際にデフォルトに陥る事態は回避されたものの、危機は去ったわけではない。時限立法の効果は来年1月に切れるからだ。
米国債市場「悪い金利上昇」警戒 債務上限問題、再びhttps://t.co/rkFss5WG1i
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) November 6, 2024
日本経済新聞によると、米国債市場では、次期大統領に選ばれたドナルド・トランプ氏の就任早々に、債務上限の引き上げを巡る混乱が再燃するとのリスクが意識され、金利上昇(債券価格は下落)への警戒感が高まっているという。
国債のデフォルトは細かくいえば、政府が国債の利息の支払いを遅延・停止したり、元本の返済ができなくなったり、契約条件を変更したりすることを指す。
ところで、素朴な疑問がある。国債の利払いを続ける限り、納税者はそれを税金によって負担し続けなければならない。しかも国債発行時に有権者でなく、異を唱える機会がなかった若い世代も含まれる。国債のデフォルトとは、そうした犠牲を払ってでも絶対に避けなければならない、世界の終わりのような恐ろしい事態なのだろうか。
財務省によれば、国債の発行残高は今年6月末時点で1062兆円で、このうち日銀が53.2%にあたる565兆円を保有する。次いで生損保等が17.8%、銀行等が11.7%、海外が6.1%、公的年金が5.9%などとなっている。
日銀は事実上、政府の子会社であり、日銀が保有する半分強の国債はデフォルトによって単純に帳消しすることができる。すべて帳消しにした場合、日銀は保有する国債の価値がゼロとなり、政府が救済しない限り、破綻するだろう。保険・年金、銀行などの国債保有額は日銀に比べれば小さいものの、デフォルトで価値がなくなれば、金融システムに及ぼす衝撃は大きい。金融機関の連鎖倒産もありうる。個人の保有する保険、年金や預金にも損失が生じるだろう。
しかし、こうした厳しい影響の一方で、デフォルトには良い面もある。まず、少なくとも当面の間、国債への投資は敬遠されるだろうから、政府は借金に頼れなくなり、予算規模が小さくなる。日銀が再建されても、野放図な財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)が認められるとは考えにくい。福祉政策や公共事業など粗悪な「行政サービス」は、今より質が高くて実質低価格な民間サービスに置き換わるだろう。
また、国債の利払いがなくなることで納税者の負担が減り、貯蓄を増やしやすくなる。これは資本の充実と生産性の向上につながり、所得回復を後押しする。保険・年金や預金を通じて購入させられた国債でこうむった損害は、国有財産の売却や民営化株の交付で賠償すればいい。一方、国家を破産に追いやった政府や日銀の歴代幹部は当然、それなりの責任を問われる。
とんでもない暴論だと思っただろうか。しかし、これは嫌でも現実に起こりうる話なのだ。税収以上に濫費する政府の無責任な姿勢が改まらない限り、いずれデフォルトは避けられない。それならば、ずるずる先延ばしせず、少しでも早いほうが痛みは比較的小さくて済む。
19世紀米国の経験
国債のデフォルトでこの世が終わるわけではない。歴史を振り返ればわかることだが、デフォルトの後も世界は続く。それだけではなく、そこには健全な経済に立ち返るチャンスがある。
米国では1830年代、中央銀行の役割をもつ第二合衆国銀行があおったバブル景気の波に乗り、多くの州が鉄道、道路、運河などの公共工事に充てるために、多額の地方債を発行した。これらの州債のほとんどは、英国とオランダの投資家によって購入された。
1837年の恐慌から1840年代のバブル崩壊で、借金を負った州は苦境に陥る。経済学者マレー・ロスバード氏が説明するように、当時の28州のうち、9州は負債がなく、1州はわずかだった。残り18州のうち、9州は負債の利子を途絶えることなく支払い、別の9州(メリーランド、ペンシルベニア、インディアナ、イリノイ、ミシガン、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピ、フロリダ)は債務不履行に陥った。これらの州のうち、4州は利払いが数年間滞っただけだったが、残りの5州(ミシガン、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピ、フロリダ)は未払い債務の支払いを拒否した。
債務不履行と支払い拒否は意外にも、良い影響をもたらす。まず、州政府に大幅な財政改革を促した。1846年のニューヨーク州を皮切りに、10年間で3分の2近い州が州憲法を改正し、①州による民間企業への投資を規制②特別立法による法人設立を制限・禁止③州・自治体債の発行方法を変更④州・自治体債の発行額に上限を設定――などを新たに定めた。これら州憲法による州債規制は、その後弱まったものの、現在まで形をとどめる。
米経済学者トーマス・サージェント氏は2011年、ノーベル賞記念講演で「もし当時多くの国会議員が望んだように、連邦政府が州政府を救済していたら、このような改革は起こっただろうか」と問いかけた。
次に、各州は公共投資に慎重になり、鉄道網の整備を民間に任せた。以前州が保有していた鉄道はほとんど売却される。州や自治体の政府は直接投資やもっと目立たない方法で鉄道を補助したものの、1860年までに米国の鉄道に必要な資本の4分の3を民間資金が提供した。米経済学者ジェフリー・ハンメル氏は「財政危機後、州はついに重商主義の遺産を捨て去り、初めて自由放任主義へ向かった」と指摘する。
米国の州債を約1億ドル購入していた英国を中心とする海外投資家は、州政府にお金を貸すことにきわめて慎重になった。海外勢のこの態度は米連邦政府にまで及んだ。米証券会社が1842年、欧州で米国債の市場調査を行ったところ、米連邦政府のデフォルトが心配なので売れないと言われた。
さらに、デフォルト後の米経済は早く立ち直った。1839~43年には、投資は減ったものの、生産はむしろ6~16%増え、実質消費はそれ以上増加した。しかもほぼ完全雇用だった。その後も経済成長は続き、実質所得は増加していった。
政府自身が財政規律を正さない場合、デフォルトによって規律を強制するしかない。19世紀米国の経験は、デフォルトが長期にわたる解決策になりうることを示している。それは一時痛みを伴うだろうが、この世の終わりではない。経済に対する政府の介入を排除し、健全で自由な市場経済による繁栄を取り戻す好機になりうる。
インフレよりマシな選択?
ところで、「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という主張をよく目にする。「いくらでもお金を刷ることができるから」というのが理由だ。机上の理論ではそうかもしれないが、現実には無理だろう。生産力を上回るペースでお金の量を増やせば物価が上昇する。ハイパーインフレとまではいかなくとも、物価高が市民の我慢の限界に達すれば、それ以上お金を刷り続けるのは政治的に困難になる。そうかといって国債の利払いにあてるため増税すれば、さらに国民の暮らしを圧迫する。
そうした状況では、政府が自らデフォルトを選択する可能性もある。暗号資産(仮想通貨)交換業大手ビットフライヤーホールディングスの加納裕三代表取締役は先月、X(旧ツイッター)で、ロシアが1998年の財政危機時に国債デフォルトを宣言した事例に触れ、「わざとデフォルトするのは自殺ではありません。政府はインフレよりマシなので、債務を軽減するためにデフォルト宣言します」と指摘した。
日本の財政状況は先進国でダントツの悪さだ。国債デフォルトが現実の選択になる万が一の場合に備え、頭の体操をしておいても損はないだろう。