【QUICK解説委員長 木村貴】政治ニュースなどで目にする「ポピュリズム」とは何だろう。日本のマスコミでは「大衆迎合」「衆愚政治」「人気取り政治」などと説明する。良い印象は受けない。けれども、ポピュリズムはすべて悪いものだと切り捨ててしまって、いいのだろうか。
仏で反税ストライキ
ポピュリズムは政治の現状に対する不満を背景に、大衆の支持を得て台頭するのが特徴だ。その歴史を振り返ってみよう。最初の波は、米国で「人民党」の政治運動が盛んになった19世紀末とされる。次の波は、第2次世界大戦後の高度成長の時代になってからだ。先進国では、米国の共和党議員マッカーシーによる反共主義運動(マッカーシズム)が、1950年代のポピュリズムの代表例といわれる。
同時期に西欧でもポピュリズム運動が起こった。その中で興味深いのは、フランスで起こった「プジャード運動」だ。
1953年、仏中南部のロート県サンセレで書籍・文房具店を開いていたピエール・プジャードが、中小商工業者の税負担が不公平だと主張し、税の不払いを呼びかけた。54年には全国レベルで商工業者防衛同盟(UDCA)を結成し、56年の下院総選挙で52名を当選させて一躍国政の舞台に躍り出る。一時はファシズムの到来と騒がれたが、まもなく内部分裂や58年の下院選での敗北により衰退する。
プジャード派は税の不払いストライキなどの直接行動に訴えたが、当初はその意図はなかった。国会議員に対して、商店主の不満に耳を傾け、必要な減税をするよう説得しただけだった。1951年には国会議員100名から賛同の誓約を得ている。
ところが、その誓約は守られなかった。商店主たちは政治家を信頼できないことに気づき、プジャード派に入り、反税ストライキや、税金滞納のために競売に出された店舗を強引に安く買い取り、店主に返すなどの直接行動に訴えるようになった。その余勢を駆って、56年の総選挙で躍進したのだ。
左派マスコミは選挙戦中、プジャード派を「ファシスト」と非難し、その暴力行為を探し出して糾弾しようとした。ところが実際に調べると、暴力行為はなかった。せいぜい反対派に野次を飛ばしたほか、プジャード派の非合法化をもくろむ政敵フランソワ・ミッテラン(のちの大統領)の鼻に、腐った梨を投げつける事件があったくらいだった。
思想上もプジャード派はファシズムとは異質だ。プジャード派の綱領の柱は減税で、それはファシズムの特徴ではない。むしろドイツのナチス政権やイタリアのファシスト政権は国民に重税を課した。ポピュリストの政策は非現実的と批判されることが多く、プジャード派の綱領も「あいまい」「マイナス思考」と非難する向きがあった。だがその非難は、「減税が非常に具体的で、実際、一般市民にとって非常にプラスになるという厳然たる事実を無視している」と米経済学者マレー・ロスバード氏は指摘する。
フランス極右、減税掲げ支持層拡げる 「普通の党」訴えhttps://t.co/nP1J92UDoD
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) June 16, 2024
プジャード派は、1970年代に国民戦線(FN)を創立した仏政治家ジャンマリ・ルペン氏に影響を与えた。その娘マリーヌ・ルペン氏が主導するFNの後身、国民連合(RN)が今年7月の仏下院選で減税を公約に掲げ、躍進したのは、かつてのプジャード派を連想させる。マスコミが「極右」「ファシスト」とレッテルを貼るのもそっくりだ。
特定のイデオロギーではない
ポピュリストと呼ばれる人々には、プジャード派のような「右派」「保守派」ポピュリズムがある一方で、「左派」「革新派」ポピュリストもいる。アルゼンチンのフアン・ペロン元大統領とその妻エバ(愛称エビータ)、キューバの革命指導者フィデル・カストロ氏、ベネズエラのウゴ・チャベス前大統領らがそうだ。
他方、米独立革命に影響を与えた思想家トマス・ペイン、英国の自由貿易を推進した政治家リチャード・コブデンとジョン・ブライト、最近では米大統領選に出馬経験のあるリバタリアンの政治家ロン・ポール氏(元米下院議員)など、自由主義系のポピュリストもいる。
つまり、ポピュリズムは特定のイデオロギーではない。思想上は左派でも右派でもありうるし、自由主義にも国家主義にもなりうる。しかし共通点として、米経済学者ジョセフ・サレルノ氏が説明するように、政治の中心から常に嫌われ、恐れられる。なぜなら、政治の中心は左派と右派の「穏健派」からなる個人や団体によって占められており、彼らは政治の現状を守るために同盟を組み、権力を代わる代わる支配し、特権と富を自分たちやその取り巻きに分配しているからだ。
ポピュリストの指導者たちは、極端で感情に訴える、扇動的な表現をよく使うが、それは当然のことだとサレルノ氏はいう。政府を支配する穏健派のエリートが、事業者や労働者など大衆の生み出す富を課税によって搾取しているという事実に、大衆は気づいていない。大衆にこの事実を自覚させるには、あるいは社会主義思想家マルクスの用語でいう「階級意識」を育むには、覚醒を促すような、感情に訴えかける言葉がどうしても必要なのだ。
代表制の機能不全
ポピュリズムはその時々の政治・経済・文化エリートが進める政策やその価値観に対して、反発を感じる層がある程度存在し、その代弁者であるポピュリストが支持を集めたときに起こる。ここで興味深いのは、民主主義との関係だ。マスコミでは「ポピュリズムによって民主主義が危機に陥る」という論調が目立つが、それは正しいだろうか。
政治学者で同志社大学教授の吉田徹氏が説明するように、民主主義は、統治者(政治家)と被統治者(有権者)との同一性を原則としている。しかし代表制民主主義では、実際には両者の間につねにゆがみが生じる。この代表制のゆがみを示す兆候としてポピュリズムをとらえることができる。「いいかえれば、ポピュリズムによって民主主義が危機に陥るのではなく、民主主義が機能していないためにポピュリズムが生まれるといえる」と吉田氏は指摘する。
ポピュリズムは、民主主義が機能不全に陥っていることに対する警鐘なのだ。そうだとすれば、ポピュリズムを敵視し、「民主主義が危機に陥る」とそれこそ危機をあおるマスコミや有名人の論調は、既得権益を手放したくない権力者たちの立場を代弁するものとして、眉につばを塗る必要があるだろう。
既得権益と旧来メディアに不信感
日米で最近起こった二つのカムバック劇は、いずれもポピュリズムの特徴を示している。ひとつは米大統領選でのドナルド・トランプ前大統領の勝利だ。トランプ氏は左派メディアからたびたびナチスドイツの独裁者ヒトラーに例えられ、おとしめられてきたが、結果は圧勝だった。トランプ氏の「まさかの復活」について、米ブルームバーグ通信は「移民流入やトランスジェンダーの権利、サービス経済移行、貿易のグローバル化に対する労働者クラスの反発が後押しした」と分析したうえで、「不平不満に基づくポピュリズムの勝利」だと的確に評している。
兵庫知事に斎藤氏、不信任覆し異例の逆転 「前に進める」https://t.co/QCxRS2nnsQ
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) November 17, 2024
もうひとつは、パワーハラスメント疑惑などで兵庫県議会の不信任決議を受け、失職した斎藤元彦県知事の再選だ。パワハラ疑惑の解明は進めるべきだが、事実関係がまだ定かでないのに、あたかも度を越したパワハラが実際にあり、それを告発した幹部が死に追いやられたかのように斎藤氏を非難する報道がマスコミにあふれたのは、首を傾げざるをえない。むしろ既得権益を守ろうとする議会や県庁、事実を公平に伝えようとしないマスコミに対して有権者が不信感を募らせ、ノーを突きつけたとみるべきだろう。
斎藤氏の勝利はトランプ氏と同様、SNSの駆使が決め手になったといわれる。日本経済新聞は記事で「ポピュリズムまん延のリスクと隣り合わせだ」と警告する。その一方で、旧来のメディアもあり方が問われる。前出の吉田氏はこの記事に対するコメントで「公平性を優先して、特定争点や候補に焦点を当てることができず、十分な判断材料を有権者に提供できていない状況がある」と旧来メディアの新聞・テレビに注文をつける。
SNS時代のポピュリズムは民主主義に対する警鐘であるだけでなく、メディアに対する警鐘でもある。軽々しく切り捨ててよいはずはない。