【QUICK解説委員長 木村貴】ドナルド・トランプ氏は来年1月20日、再び米大統領に就任する。132年前のグローバー・クリーブランド以来、米史上2人目の返り咲き大統領だ。
ところでこのクリーブランド大統領、トランプ氏のおかげでたまたま「元祖返り咲き」として話題になってはいるものの、日本はもちろん、地元米国でも知名度が高いとはいえない。歴史家の中には「柔軟性に欠ける」などと批判する向きもある。
元祖返り咲き大統領クリーブランド氏 トランプ氏と真逆https://t.co/vGgTjPaW0J
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) November 9, 2024
けれども、そうした世評に流されて軽視するには、クリーブランドは惜しい人物だ。それどころか、米建国の理念を体現した、最後の正統派大統領といってもいい。その業績を振り返ることで、現在の米政治が抱える問題の本質が見えてくる。
年金拡大・被災支援を拒否
クリーブランドは米ニュージャージー州で1837年に生まれ、その後、ニューヨーク州に移り住んだ。同州の弁護士資格を得て、検事補や保安官を務めた。州西部バファローの市長、州知事を経て、民主党から出馬した84年の大統領選で勝利。1期目(85~89年)の大統領を務めた。

クリーブランド(wikipedia.org)
米民主党は、福祉政策に熱心な現在の姿からは想像しにくいけれども、20世紀に入る頃まで、伝統的に経済の自由を重んじる、「小さな政府」路線の政党だった。クリーブランドは、その最後の栄光を輝かせた大統領といえる。
行政の無駄な支出を抑える姿勢は、大統領になる前から鮮明だった。バファロー市長時代には、「拒否権市長」として知られた。
拒否権は米独特の制度で、議会を通過した法案に対して行政の長がその法案を無効にする権限を指す。大統領の拒否権が有名だが、知事や市長にもある。
クリーブランドはその拒否権を盛んに行使し、市政の最初の半年で100万ドル近くを節約した。ニューヨーク州知事を務めた際も同様の態度で臨み、その後、いよいよ大統領として本領を発揮する。大統領としての拒否権の大半は、南北戦争(1861〜65年)の退役軍人の年金に関するものだった。これには理由がある。
南北戦争に従軍して障害を負った退役軍人や戦死した兵士の扶養家族に年金を支給する一般年金法は、すでに施行されていた。ところが下院議員らは、自分の選挙区の有権者向けに個別の年金を設けることで、歓心を買おうとした。
今かかっている病気が20年前の戦争のせいだとして給付を求めるなど、不正な年金申請も多かった。クリーブランド大統領は拒否権発動にあたり、「逸脱した目的に国の恩恵の流用を許すことが、立派な市民に対する義務だとも親切だとも思わない」と述べた。
さらにクリーブランドは、一般年金法の拡大にも拒否権を発動した。それまでの年金よりも範囲が広く、費用がかかりすぎるという理由からだ。その際、「年金の将来費用に関する見積もりは不確実で信頼性に欠け、常に実際の金額をはるかに下回ることは、経験が証明している」とコメントした。
1887年、クリーブランドは有名な拒否権を発動する。当時、干ばつがテキサス州の農家を襲ったのを理由に、議会は同地の農民が種子を購入するために10万ドルを計上した。クリーブランドはこの支出に拒否権を行使し、「国民が政府を支えるのであって、政府が国民を支えてはならない」と述べた。
さらにこう続けた。「個別の災害まで連邦政府が救済すれば、人々が政府の温情を期待するようになり、米国民のたくましい気質を弱めてしまうだろう。また、国民の間に思いやりの気持ちや行動が広がるのを妨げてしまうだろう。そうした気持ちや行動こそが、同胞としての絆を強めるのに」
政府の被災支援といっても、その原資は国民の税金に他ならない。支援が歯止めなく広がれば、その負担はいずれ被災者自身を含む国民の肩にのしかかる。その道理を理解していたクリーブランドは、必要な援助は民間の慈善事業や既存の政府事業で行うべきだと主張したのである。
クリーブランドは政府の規模拡大を嫌う姿勢を2期目(1893~97年)も貫いた。任期の実質最後の年である96年のこと、議会を掌握していた共和党は、当時最大のインフラ支出であった河川と港湾の建設法案をクリーブランドに送った。これはケインズ流の景気刺激策で、全米の特定の事業者に結び付いた事業が満載だった。当然クリーブランドは法案を拒否し、議会に宛てたメッセージで「この法案が公金を充てる対象の多くは公共の福祉とは関係がなく、明らかに限られた地域の利益、または個人の利益を助長するものとなっている」と書いた。
米作家ライアン・ウォルターズ氏は「保安官および小さな町の市長としての初日から大統領としての最後の日まで、グローバー・クリーブランドは米国の納税者に対する熱意を少しも失うことがなかった」と著書に記している。
戦争拒み中立保つ
クリーブランドの功績で、内政とともに見逃せないのは、外交政策だ。
2期目には、前任のハリソン大統領が上院に批准を求めたハワイ併合条約を撤回し、頓挫させた。ハワイの米国人事業家や「後進民族の文明化」を望む人々は、この条約を推進していた。しかしクリーブランドは、ほとんどのハワイの人々が、米国が援助したハワイでのクーデターに同意しておらず、米国の一部になることを望んでいないことを知っていた。クリーブランドは、この条約は不正に結ばれたものであり、米独立宣言にうたわれている真の自決権に反するものだと考えていた。
また、キューバの反乱を助けるという名目でスペインと戦争することを拒否した。中立を保ち、スペイン支配に対するキューバの暴動を支援することを拒否し、代わりにスペインがキューバを徐々に独立に導くような改革を採用するよう促したいと考えた。このため、キューバ反乱軍の交戦権を認めるよう求める決議を採択した上院と対立する。議会はキューバの独立を認めると脅し、大統領に逆らおうとした。これに対してクリーブランドは、そのような決議は大統領の権限を簒奪するものだと断じた。
1897年に共和党のウィリアム・マッキンリーがクリーブランドに代わって大統領に就任した後、状況は一変する。マッキンリーは米国をスペインとの戦争(米西戦争)に引きずり込み、ハワイも併合して、帝国主義への道を歩み始めた。
これに対しクリーブランドは退任後、政治団体「アメリカ反帝国主義連盟」を結成し、米国の帝国主義路線に反対していく。
建国の理念から遠ざかる
内政でも外交でも「大きな政府」による介入政策を嫌ったクリーブランドの態度には、お手本があった。米独立革命を主導した「建国の父たち」、なかでも第3代大統領を務めたトーマス・ジェファーソンだ。

ジェファーソン(wikipedia.org)
ジェファーソンは大統領時代の1802年、議会への年次教書で「公金を自分のお金と同じように慎重に節約して使い、国民に不必要な負担を課さない」よう述べた。外交については、知人への手紙で「すべての国と自由に通商し、どの国とも政治的つながりを持たない」ことを支持している。
クリーブランドは、個人の自由と平和を重視するジェファーソンの哲学に深く共感していた。前出のウォルターズ氏は、クリーブランドを「最後のジェファーソン派大統領」と呼ぶ。
現在の米政治は、経済への介入や戦争を極力避けようとするクリーブランドやジェファーソンの理念からはるかに遠ざかってしまった。政府の規模は膨張し、巨額の政府債務が積み上がって納税者の負担を増している。中国などに対する制裁で自由な通商を妨げる一方で、ウクライナやイスラエルを支援し、戦争をあおっている。他国と政治的なつながりを持たないどころか、北大西洋条約機構(NATO)諸国や日本と軍事同盟を結び、米国民を戦争に巻き込まれるリスクにさらしている。
せっかく大統領に返り咲くトランプ氏には、元祖クリーブランドが貫いた、建国の理念が再び花開くような政治を目指してほしい。それは世界に平和と繁栄をもたらすだろう。
トランプさんに(善し悪しは別にしても)何某かの理念に基づく統治を期待しても無理なような。オバマさんのように理念先行で何もできなくなるよりはましぐらいの期待感がいいのかなと思っています。