【QUICK解説委員長 木村貴】今から110年前のクリスマスイブの夜、多くの兵士が命を落としていた欧州の戦場で、不思議な出来事が起こった。「クリスマス休戦」と呼ばれる。
1914年6月、ボスニア・ヘルツェゴビナの中心都市サラエボで、オーストリアの帝位継承者夫妻がセルビア人により暗殺された。これをきっかけに7月末にはドイツの後援を得たオーストリアがセルビアに宣戦を布告し、8月にはドイツがロシアに宣戦を布告した。フランスや英国も次々と参戦し、極東では日英同盟を結んでいた日本がドイツに宣戦を布告した。こうして戦争が地球規模に広がり、第一次世界大戦となった。
ドイツは中立国ベルギーに侵入し、フランスに進撃したが、やがて進軍は阻止された。以降、ドイツ軍と英仏連合軍が対峙する西部戦線では塹壕にこもり、機関銃で相手の突撃を阻止する塹壕戦となり、膠着状態が続いた。なお塹壕とは銃弾を避けるために地中に掘った溝で、雨水がたまると足場はぬかるみになるなど、兵士にとっては劣悪な環境だった。
戦場のコンサート
両陣営とも、クリスマスまでには勝利すると期待していた。しかし12月に入ると、塹壕が並ぶ西部戦線は拮抗状態に陥った。作家ウィル・グリッグ氏によれば、ノーマンズランド(中間地帯)には、使用済みの弾薬と戦死した人々の死体が散乱していた。
The Christmas Truce of World War I by Will Grigg
— Scott Horton (@scotthortonshow) December 24, 2023
For a tragically short time, the Spirit of the Prince of Peace drowned out the murderous demands of the State.
In August 1914, Europe’s major powers threw themselves into war with gleeful abandon. Germany, a rising power with… pic.twitter.com/zWYDPrDiJI
前線部隊の戦闘意欲は衰えた。クリスマスが近づくにつれ、敵陣を越えて親善の仕草が散見されるようになった。兵士たちは相手に銃弾を撃つのではなく、時には配給缶や石で重くした新聞を投げてよこした。クリスマスの約1週間前、アルマンティエール近郊のドイツ軍は、戦線を越えてチョコレートケーキを英国側に差し出した。
ケーキには、こんな意外な招待状が添えられていた。「今夜は大尉の誕生日なので、コンサートを開こうと思う。ただし、7時30分から8時30分までの間に敵対行為を停止することに同意するよう、客人として約束してくれることを条件とする。……我々が7時30分ちょうどに塹壕の端でキャンドルとフットライトに火を灯すのを見たら、安心して塹壕の上に頭を出してくれていい。我々も同様にし、コンサートを始める」
コンサートは時間どおりに進んだ。1曲ごとに英軍から熱狂的な拍手が起こり、ドイツ兵は「一緒に歌おう」と英国軍を誘った。ある英国兵が大胆にも「ドイツ語を歌うくらいなら死んだほうがましだ」と叫ぶと、この軽口に対してドイツ軍からは「そんなことをしたら、おれたちが死んでしまう」と気さくな返事が即座に返った。コンサートは「ラインの守り」の熱唱で幕を閉じ、暗くなりかけた空をわざと狙った数発の銃声で締めくくられた。
敵兵同士でサッカー
クリスマスイブになると、ドイツ側の戦線は、もみの木で作った小さなクリスマスツリーの輝きに包まれた。聖なる日を記念しようと決意した部隊によって、時には銃撃を受けながら設置されたものだ。
歴史家スタンリー・ワイントラウブ氏は著書『きよしこの夜 第一次世界大戦クリスマス休戦の物語』で、「ほとんどの英国兵にとって、ドイツ軍がクリスマスを祝うことにこだわったことは、ドイツ人は獣だというプロパガンダの後では驚きだった」と記す。
やがて両陣営の兵士たちは互いに近づいていった。挨拶や握手を交わし、贈り物をし合った。ドイツ語、英語、フランス語でキャロルが歌われ、英独の将校が丸腰で並んで立っている写真が何枚か撮られた。
さらに、ドイツと英国の敵兵同士が中間地帯の凍った芝生の上でサッカーに興じた。ある英国兵は、この一夜の出来事を「全戦争中おそらく最も異常な出来事——将校や将軍の承認なしに行われた兵士の休戦……」と表現している。
反発する向きもあった。12月初旬までに戦線を越えた交流があまりにも多くなっていたため、英国軍のある参謀長は、親交をはっきり禁止する指令を出した。「親交は指揮官の自発性を阻害し、すべての階級の攻撃精神を破壊する。敵との友好的な交流、非公式の休戦、タバコやその他の慰問品の交換は、どれほど魅力的で、時には面白いものであっても、絶対に禁止する」
あるオーストリア生まれのドイツ軍伝令兵は、英国軍兵士とクリスマスの挨拶を交わしていた仲間を軽蔑し、「そんなことは戦時中にあってはならないことだ」「ドイツ人の名誉意識はまったく残っていないのか」と憤慨した。この兵士の名をアドルフ・ヒトラーといった。
怪物ではなく人間
英参謀長や未来のナチスドイツの独裁者の言葉が逆に物語るように、兵士が敵を憎まなければ、戦争は長くは続けられない。
クリスマス休戦を振り返って、スコットランドの歴史家ローランド・ワトソン氏はこう書いた。「国家は「殺せ! 殺せ! 征服せよ!」と叫ぶが、個人の内にある深い本能は、大した罪を犯したわけでもない他人を簡単に銃弾で撃ち殺そうとはしない」
ロンドン・デイリー・ミラー紙は、クリスマス休戦に関する記事で、「兵士の心に憎しみが宿ることはめったにない。それが仕事だから戦いに行くのだ」と記した。
前出のワイントラウブ氏も「多くの英独の兵士、そして一線級の将校たちは、互いを紳士的で高潔な人間として見ていた」と述べる。ライフル銃の向こう側にいるのは、観念的なプロパガンダに描かれるような魂のない怪物ではなく、怯えていて、生き延びて家族のもとに帰ろうと必死になっている男なのだと、兵士たちは理解するようになったという。
だからといって戦争をやめることは許されなかった。「シャーロック・ホームズ」の作者である英作家コナン・ドイルは戦後、「世界の平和に逆らう高貴な陰謀家たちが、狂気の野望のために、男たちを追い詰め、互いに手を取り合うのではなく、喉をつかみ合うように仕向けたのだ」と述べた。ドイルはこの戦争で息子を亡くしている。
非公式休戦はクリスマスまで続き、戦線によっては翌日まで続いた。しかし元旦を待たずに戦争は再開された。結局、4年後の1918年11月まで終わらず、膨大な死傷者を出すことになる。
「もしもクリスマス休戦で戦争が突然終わっていたら」とワイントラウブ氏は問いかける。「世界大戦が早く終わっていれば、多くの災難を避けられただろう。(略)西部戦線の泥の中に何十万もの死体が埋め尽くされ、識別できる骨さえ残らなかった虐殺は起こらなかっただろう。さらに46カ月続いた戦争で毎日6000人以上が亡くなることもなかっただろう」
紛争続く世界に希望の光
宗教上の祝日であるクリスマスは休戦の貴重なきっかけとなりうるが、昔も今も、それを無視したがる勢力はいる。
ウクライナがクリスマス休戦拒否 ハンガリー首相https://t.co/qXCWYJWUJU
— AFPBB News (@afpbbcom) December 12, 2024
報道によれば、ハンガリーのオルバン首相は今月、ロシアと交戦中のウクライナのゼレンスキー大統領にクリスマス休戦を提案したが、拒否された。ロシアは合意していたという。米欧の支援を受けるウクライナの背後で、ドイルのいう「世界の平和に逆らう高貴な陰謀家たち」、現代流にいえば軍産複合体の意向が働いたと想像しても的外れではないだろう。
軍産複合体、つまり戦争で利益を得る政府・軍関係者や軍需産業は、国籍が異なるだけの人間を憎み合わせ、殺し合わせるために、メディアを通じナショナリズムや愛国心といった「観念的なプロパガンダ」で洗脳しようとする。
しかし人は思慮深くなることでその嘘に気づき、殺し合いをやめることができる。そのような人が増えれば増えるほど、戦争阻止の可能性は高まる。第一次世界大戦中のクリスマス休戦という、つかの間の奇跡のような出来事は、紛争の絶えない世界に、個人の力による戦争の拒否という一条の希望の光を投げかける。