信用失墜の瀬戸際、取引ルール作りに奔走
巨大な外国為替市場では参加者の利害関係が極めて複雑だ。しかも相対取引が中心のため長年、明確なルールがないままの「なれ合い」体質がまん延していた。国際ルールが固まったのはつい最近の2017(平成29)年。きっかけは13年、10年代前半まで繰り返されてきた外為指標の不正が発覚したことだ。ルール作りに奔走し「Mr.FXJapan」と呼ばれた大西知生氏は「あそこで動かなければ外為市場は瀕死(ひんし)の状態に陥ったかもしれない」と振り返る。
おおにし・ともお 1990年に慶大経済学部を卒業し東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。その後はチェース・マンハッタン銀行(現・JPモルガン・チェース銀行)やドイツ銀行グループで為替市場にかかわり、2017年12月まで東京外国為替市場委員会の副議長として国際ルールの整備にあたった。現在は仮想通貨(暗号資産)交換業への参入を目指すFXcoinの代表取締役社長
◆なれ合い体質まん延、顧客無視のディーラーも
2010年代前半、金融・資本市場では2つの大きな不祥事が起きた。一つは世界の企業向け融資や、金利スワップなどのデリバティブ(金融派生商品)の基準となるロンドン銀行間取引金利(LIBOR)を巡る談合問題。12年、欧米大手銀の担当者が自らに利益になるようレートを決めていたことが発覚した。もう一つは13年に明らかになった為替指標の操作疑惑だ。欧米金融機関の一部の為替ディーラーが顧客から受けた注文に関する秘密情報を共有し、決済に絡む指標を操作しようとしていたとわかった。
疑惑発覚前の外為市場には取引規範として明文化されたルールがなかった。大手自動車メーカーがいくら売っている、機関投資家がいくら買っているといった情報があふれ、ディーラーたちが大手顧客の注文に便乗し売買をするといった顧客無視の動きがあった。いまでは禁止されている「見せ玉」などを駆使して収益をあげるのが良いディーラーとさえ思われていた。モラルの高いディーラーはなかなか利益を出せない不公平な状況も生じていた。
外為指標の不正はそうした不公平感や不満が吹き出す引き金にもなったほか、不祥事の責任が個人に対して追及されたために世界中のトレーダーは萎縮し、疑心暗鬼の連鎖によって日々の取引量は目に見えて細った。ルール作りは待ったなしだった。
◆日本主導でガイドライン、バイサイドを説得
関係者が多岐にわたるとあって道のりは平たんではなかったが、日本がリーダーシップをとってどうにか合意にこぎ着けた。まず東京外国為替市場委員会は「外国為替ガイドライン」を作り、情報共有などについて具体例を挙げながらディーラーができること、できないことを「○」「×」形式で示した。例えば具体的な取引先名や、特定の水準にいくらの注文が控えるかなどは伝えてはならない。
東京を含む主要8カ国・地域の外為市場委員会の代表が東京に集まり2015年3月に開催された「外国為替市場グローバル会合」でこのガイドラインを公表すると、○×方式は分かりやすいと高く評価された。17年5月に国際決済銀行(BIS)が明らかにした「グローバル外為行動規範」でも同じ形式が採用になった。内容は日本に近い。外為業務の国際ルールをようやく一本化できた。
ガイドライン作成にあたってまずは国内の大手銀行、証券のマネジャーたちを集めて会合を開いた。すると「ガイドラインの通りに業務をするともうからなくなるからと反対」との声があがった。半面、自分の部下であるドイツ証券のスタッフには「ガイドラインよりもさらに厳しく律するぐらいにしてほしい」と指示した。顧客の一部は「ドイツ証券は情報をくれなくなった」と離れていった。
ガイドラインを作っても使ってくれる人がいなければ意味がない。大手製造業、商社、機関投資家などの「バイサイド」にも理解してもらわなければならなかった。東京外為市場委員会のメンバーはバイサイドと何度も議論した。
当初は「外為市場の改革というが、そもそもセルサイド(銀行や証券などのセールス部門)が悪いことをしたのが原因。その結果ルールを厳しくしたから情報提供などのサービスクオリティーが低下するのでは納得がいかない」と不満をぶつけてくるバイサイド幹部もいた。それでも市場の健全化はセルサイドだけでなくバイサイドも恩恵を受けるのだと粘り強く説明し、理解を得た。
一方、指標関連の不祥事をもたらしたヒューマン・リスク(人間のトレーダーを置くリスク)を完全に消し去るのは難しい。このところ急速に進んでいるコンピューター取引や人工知能(AI)の活用拡大はこと外為市場では避けられないだろう。感情をもたない機械取引はプログラムに沿って淡々と動くので、恣意的な不正はしない。記録も取りやすく顧客への説明責任を果たせる。
◆今度は仮想通貨、実需拡大に期待
外為市場で自分ができることは一通りできたかなと思っていたところに仮想通貨と出会った。「外為市場のルール作りをした大西さんのような人が仮想通貨業界にもいたらいいのに」と周囲に乗せられる格好で転身を決めた。「仮想通貨は人々の生活を豊かにする」と確信した当時の思いは変わっていない。
17~18年初めのようなバブルが再び起こる可能性は低く、国際送金などにおける仮想通貨の利用を模索する企業は増えている。バブルを起こした投機取引の熱は冷めたが、決済などに絡む「実需」が拡大すれば、必要なインフラとして世間の認知度が増すだろう。
=聞き手は日経QUICKニュース(NQN)尾崎也弥
=随時掲載