理事会後の記者会見でドラギ総裁は晴れやかな表情だった(24日、写真はEUROPEAN CENTRAL BANK)
NQNロンドン=椎名遥香
欧州中央銀行(ECB)は10月末をもって8年間続いたドラギ総裁の体制に幕を引く。ギリシャの債務問題に端を発した危機に直面したドラギ氏は大胆な措置を繰り出し、信認が揺らぎかけていたユーロを救った。一方でユーロ圏の景気は低迷し、物価目標の達成は道半ばだった。緩和の副作用も強まり、9月に決めた量的緩和の再開にはドイツやフランスの中銀が反対。理事会内をどうまとめるかを含めた難しいかじ取りはラガルド次期総裁に引き継がれる。
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「私の遺産は決してあきらめないことだ」――。24日、最後の記者会見に臨んだドラギ総裁はこう胸を張り、「使命を追求し続けたことを誇りに思う」とも述べた。
11年の就任直後から危機と対峙することになったドラギ氏は、12年7月にロンドンで講演し「ユーロを守るためには何でもする。信じてほしい」と断言。それからほどなく、「伝家の宝刀」とも目された国債買い切り策(OMT)を導入した。財政危機に陥った国の国債を流通市場から無制限に買い上げる制度だが、制度の発表だけで市場での不安をしずめ実際には発動せずに済んだため、市場参加者は畏敬の念を込めて「ドラギマジック」と呼んだ。
ドラギマジックの影響を最も強く受けたのはユーロ相場だろう。12年当時は米国が積極的な量的緩和政策をとり、ドル安の圧力がかかっていたので対ドルで見るとわかりにくいかもしれない。だが対円では危機局面でのユーロ安傾向が鮮明で、12年半ばにかけては節目の1ユーロ=100円を維持できず95~96円台に沈んでいた。ドラギ氏はそんな危うい状況に歯止めをかけたわけだ。
ユーロはその後、日本で安倍晋三首相が登場したことによる「アベノミクス株高・円安」も加わって急回復。13年に入ると1ユーロ=120円台に一気に乗せた。
ひとまず危機を脱したドラギ氏はさらにマイナス金利、量的緩和と次々に非伝統的な手法を取り入れた。
ECBの資産は足元で4.7兆ユーロ(約570兆円)と、総裁就任前に比べ2倍の規模に膨らんでいる。積極緩和は金融市場の安定をもたらし、12年には30%を超えていたギリシャとドイツ国債の利回り差は足元では2%弱まで縮まった。実体経済をみても、13年に12%超だったユーロ圏の失業率は7%台半ばに低下した。それでも持続的な成長にはつながっていない。
「2%近く」でインフレ率を安定させる目標も達成できなかった。直近9月の物価上昇率は0.8%にとどまる。経済構造の変化や貿易摩擦などといった不確実性の高まりを受けて物価は思うように上向かない。緩和からの出口の道筋が見えなくなり、副作用ばかりが意識されている。9月に量的緩和の再開を決めた際には、政策姿勢が中立とされるフランス中銀総裁も反対したと伝わった。
ソシエテ・ジェネラルのアナトリ・アネンコフ氏は、ドラギ氏を「優れたコミュニケーター」とたたえる一方、「金融政策の限界や、積極的な緩和策を逆転させる難しさを過小評価していたかもしれない」と指摘した。
ドラギ氏は会見で、ラガルド次期総裁に「助言することは何もない」と述べた。すべて信頼しているということなのか、残された政策手段が少ないゆえのコメントなのか。ラガルド体制の前に立ちはだかる雲は厚い。
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