【QUICK 解説委員長 木村貴】ジョン・ロックフェラーといえば、石油王と称えられた米国の大実業家だ。現在、国際石油資本「スーパーメジャー」の一角を占め、S&P500種株価指数の構成銘柄でもあるエクソンモービル、シェブロン、コノコフィリップスの米石油大手はいずれも、ロックフェラーが興したスタンダード石油の流れをくむ。かつての巨大企業スタンダード石油がいくつもの会社に分かれたのは、成功の絶頂にあったロックフェラーを、ある悲劇が襲ったからだ。
大富豪となったロックフェラーは、不正な取引で儲けた悪徳商人という風評が流布している。しかし、それは事実無根だ。その富はまっとうな経営努力で築いたものであり、仕事に向き合う真摯な姿勢と優れたビジネス手法は、株式投資の極意にも通じる。
徹底して無駄を排除
ロックフェラーは1839年、ニューヨーク州のリッチフォードという小さな村で6人の子の1人として生まれた。父親は行商人で、ロックフェラーが十代のときに家族を捨てた。一方、母親はバプティスト派(キリスト教プロテスタントの最大教派の一つ)の熱心な信者で、息子に勤勉と倹約の大切さを教えた。ロックフェラー自身、敬虔な信者となり、若い頃から始めた慈善事業への寄付を、1937年に97歳で亡くなるまで続けた。敬愛する牧師の「お金を稼ぎなさい。正直に稼ぎなさい。そして賢く与えなさい」という言葉を座右の銘にしていた。
ロックフェラーは16歳で帳簿係の見習いとなり、23歳までにいくつかの仕事を経験してお金を貯め、仲間と一緒にオハイオ州クリーブランドの製油所に投資する。「金持ちの後援者もいなければ政府のスタートアップ融資もない。純粋な個人起業家だった」と米歴史家のブライオン・マクラナハン氏は述べる。
ロックフェラーは1870年、仲間とともにスタンダード石油を設立する。成功のカギとなったのは、ビジネスの細部に気を配り、徹底して無駄を排除したことだ。
当時、石油産業はまだ初期で、無駄が多く非効率な時代だった。石油採掘業者はしばしば採掘が終わる前に、石油を詰める樽を使い果たし、余った石油を捨て、製品を無駄にした。精製業者は石油から灯油だけしか作らなかった。元の石油の量の60%は残るが、残りの40%は廃棄物として捨てられ、環境を破壊していた。ロックフェラーは廃棄物がどのように役に立つか懸命に考えた。化学者に研究させ、潤滑油、ガソリン、パラフィンワックス、ワセリン、塗料、ワニスなど多数の石油副産物の製造方法を発見した。そしてこれら新製品を自分のビジネスに生かすと同時に、消費者に販売し、収入を増やした。
コスト低減のため、開発・生産・販売を自社で一手に行う「垂直統合」を取り入れた。まず製油所の配管工を下請けではなく、直接雇用することでコストダウンを図った。樽の製造も外注ではなく、自社で直接行うことにした。これによって自分のニーズに合った製品を作ることができるようになり、その分コストも削減できた。ロックフェラーはこうした工夫により、コスト削減と同時に、自分の管理の及ばない他人や企業への依存を減らし、効率を高めた。一方で製油所への投資は惜しまなかった。安全性に自信があったため、保険に加入さえしなかった。従業員への賃金は競合他社よりもはるかに多く支払い、その結果、ストライキや労働争議にあうことはめったになかった。
独禁訴訟の標的に
製油業は装置産業の典型で、最初は製油所の建設などに大きなコストがかかるが、生産量が増えるにつれて単位当たりのコストは低下する。「規模の経済」と呼ばれる効果だ。ロックフェラーはコストダウン分を消費者に還元し、精製石油1ガロンの価格を1869年の30セント超から1874年には10セント、1897年には5.9セントと大幅に引き下げた。この間、石油1ガロンの生産コストは3セントから0.29セントへと低下した。
低価格を武器に、スタンダード石油は精製石油市場におけるシェアを劇的に伸ばした。設立時の1870年に4%だったシェアは1874年に25%、1880年に85%、1904年には90%に上昇した。この独占は不正な手段によってではなく、経営努力と消費者の信頼によって勝ち取ったものだ。安価な灯油のおかげで、多くの米国人が日没後も仕事をしたり読書を楽しんだりできるようになった。
しかし成功は敵を増やす。競争に敗れた事業者やその関係者はロックフェラーを憎んだ。ジャーナリストのアイダ・ターベルは1904年、『スタンダード石油の歴史』を出版し、ロックフェラーは競争相手をつぶすために汚い手を使う人間だと非難した。ターベルの父親は石油事業者で、スタンダード石油と互角に戦えず、事業から撤退していた。
競合他社はやがて政府を動かし、米連邦政府は1906年、スタンダード石油に対して独占禁止訴訟を起こした。政府側の主張の一つは「略奪的価格設定」である。市場支配力をもつ企業が不当な安売りでライバルを市場から追い払い、その後に値上げして、安売りの損失を埋め合わせる行為を指す。
この主張には無理がある。ライバルを追い払うのに何年かかるかわからないし、かりにできたとしても、「世界中の新たな競合他社が業界に参入し、価格を下げるのを止めることはできない」と米シンクタンク、ミーゼス研究所のトーマス・ディロレンゾ所長は指摘する。
だがスタンダード石油は訴訟に敗れる。1911年に連邦最高裁から市場競争を高めるためとして解体命令が出され、現在のエクソンモービルなどを含む34の新会社に分割された。ロックフェラーを襲った悲劇だ。「その結果、スタンダード石油の効率は大幅に低下し、効率の悪いライバルの利益となり、消費者の損失となった」(ディロレンゾ氏)
前回取り上げたマイクロソフトは解体こそ免れたものの、同業他社の画策で独禁訴訟の標的となり、時間と資金を空費させられた点は同じだ。独禁法は消費者の利益を本当に守っているのか、疑問に思わざるをえない。
バフェット氏と共通点
ロックフェラーの生き方を振り返ると、現代の著名投資家、ウォーレン・バフェット氏の投資哲学に共通点を感じる。
たとえば、バフェット氏も倹約の精神を重んじ、「朝目覚めたときに『さて、息でもするか』などと考えないように、本当の意味で優れた経営者は、『よし、今日はコストを削減するぞ』などと考えたりしないものです」と述べている。またビジネスの細部に気を配ることを大切にし、動物の皮を大量に購入する靴メーカーの優れた経営者について「雄牛の群れのなかで一頭がバランスを崩してよろける。そんな一瞬の出来事でも彼らは見逃さないのです」と発言している(「バフェットの投資原則」)。若い頃からさまざまな事業を手がけたのも、ロックフェラーと似ている。
ロックフェラーは若者に向けてこんな言葉を残した。若者に限らず、すべての社会人に通じる心得でもあるし、投資家にとっては優れた起業家を見抜く物差しにもなるだろう。「若者にとって最も重要なことは、信用、すなわち評判、人格を確立することだ。他人の全幅の信頼を得なければならない」