【QUICK解説委員長 木村貴】南米ベネズエラは、サウジアラビアを上回って世界最大の石油埋蔵量を誇る。石油だけでなく、天然ガス、鉄鉱石、ボーキサイト、金、ダイヤモンドなど多くの天然資源に恵まれている。1950~80年代初めまでは中南米で経済的に最も豊かな国の一つだった。
そのベネズエラが、中南米の歴史上、他に例をみない770万人もの難民・移民を出すほどの苦境に陥っている。シリアのような内戦に見舞われたわけではないにもかかわらず、なぜそれほどの人々が国を離れざるをえないのか。背景には経済の混乱がある。
経済崩壊の主犯
「米メキシコ国境まで4000キロメートル以上を歩いてきた。携帯電話も、電車やバスに乗るお金もない。道中はキャンディーを売って日銭を稼ぎ、幼い子どもを連れて広大なメキシコを縦断してきた」。日本経済新聞は最近の記事で、経済が混乱する母国ベネズエラを捨てて米国を目指す男性とその一家の様子をこう伝えた。
妊婦、越境目指し冷たい川へ 近くて遠い「自由の国」https://t.co/i70yCcRFjJ
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) June 8, 2024
国内にとどまるベネズエラの庶民を襲っているのは、物価高と品不足だ。朝日新聞によると、ベネズエラ中央大で教育学を教える教授は、この数年のインフレで買える商品が減り、スーパーに行っても肉は高くて買うことができない。以前は友人と喫茶店で語らうのが楽しみだったが、今は外食を一切控えているという。
ベネズエラは2017年以降、米国から経済制裁を課されている。制裁は軍事攻撃に比べて一見、人道的なようだが、実際は一般市民を苦しめる非道な行為であり、一日も早く解除すべきだ。だがその影響は、経済全般の崩壊を引き起こすほどではない。経済崩壊の「主犯」は別にいる。それは天文学的なハイパーインフレをはじめ、経済上の失策を繰り返してきたベネズエラ政府自身だ。
ここでインフレ(物価高)が起こる原因を確認しておこう。個別の商品やサービスの値段は、個々の需要と供給によって決まる。しかし物価全体が上昇するためには、他の条件が一定なら、お金の量が増加しなければならない。逆にいえば、物価高はお金の量が増えなければ起こらない。この事実をシカゴ学派(マネタリスト)の経済学者ミルトン・フリードマンは、「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」と表現した。
今の経済の仕組み上、お金の量を管理するのは政府・中央銀行だ。したがって、インフレの責任は政府・中央銀行にある。ベネズエラも例外ではない。同国のマドゥロ政権は米国による制裁が経済を壊したと批判するが、すでに述べたように、制裁が事態を悪化させたにしても、そもそもの原因はベネズエラ政府にある。
壮大なバラマキ政策
ベネズエラ経済が繁栄から転落し、破綻に至った経緯をたどってみよう。繁栄の時代は1914年、最初の油井が稼働し、国際原油市場に参入したときに始まった。当時の政府は賢明にもビジネスに関与せず、油井は民間で保有・運営された。1950年代後半まで、課税水準は相対的に低く、各種の経済規制も少なかった。ベネズエラの自由主義時代といえる。
だが時とともに、政府はしだいに経済への干渉を強める。関与が一気に強まったのは、今から四半世紀前の1999年に就任したチャベス大統領からだ。
チャベス大統領はのちに「21世紀の社会主義」を標榜するが、政権に就いた初めの3年間は財政規律を重視し、穏健な経済政策をとっていた。しかし2003年頃からこれを転換し、財政支出を急拡大させるとともに、経済活動への国家介入を強める。狙いは、政権維持のために貧困層の支持率を引き上げることにあった。
折しもこの頃から国際石油価格が上昇し、高い経済成長をもたらす。大きく膨らむ石油収入は、地下鉄や港湾整備といった公共投資に加え、貧困層向けの住宅建設、無償教育、無償医療など様々な福祉政策に充てられた。壮大なバラマキ政策といっていい。
一方で2007年以降、多くの企業を国有化した。当初は電力、通信、製鉄、石油といった戦略産業が対象だったが、その後、食料不足や住宅不足が深まるにつれ、それら関連分野の企業も国有化していった。一方的な国有化の被害にあった企業や個人が司法に訴えても、検察や裁判所がチャベス政権に従属しており、却下された(坂口安紀『ベネズエラ』)。
2008年のリーマン・ショックで石油価格が下落し、暗雲が立ち込める。2009年、2010年とマイナス成長を記録。その後、石油価格の回復でプラスに戻したものの、物価の高止まり、食品・医薬品の欠乏などの経済問題が悪化し、国民生活を圧迫した。すべて2017年からの制裁の前に起こったことだ。
異次元の貨幣乱発
こうした中、チャベス大統領は2013年に病で死去し、マドゥロ副大統領が後任大統領として社会主義政策を引き継いだ。事態はさらに悪化する。
チャベス時代から上昇傾向にあったインフレ率は、マドゥロ政権下で激しく加速した。2015年には100%を超え、2017年にはハイパーインフレに突入。2018年には13万%を突破した。背景にはお金の量(マネーサプライ)の急増がある。2015年は100%、2017年は1000%、2018年には6万%超と、すさまじい勢いで拡大した。
ベネズエラ研究者の坂口安紀氏は前出の著書で「ハイパーインフレの原因は、大幅の財政赤字とそれを埋め合わせる異次元の貨幣乱発である」と指摘する。その責任はベネズエラ政府自身にある。
通貨ボリバルがお金として役に立たないため、それに代わる手段として、ビットコインなどの暗号通貨や、非公式なドルの利用(ドル化)が広がった。一方で銀行預金すらもたない貧困層は大量の札束を手に入れるしかなく、社会主義政権の下で格差が拡大するという皮肉で悲惨な状況に陥っている。
最近では物価の伸びはやや鈍化したものの、昨年は約190%と依然としてきわめて高いインフレが続いている。マドゥロ政権発足後、国内総生産(GDP)は約80%減少し、国民の6割が極度の貧困状態にあるとされる。
自由主義の復活カギ
ベネズエラでは先月、大統領選が実施され、選挙管理当局はマドゥロ大統領が3選を果たしたと発表した。野党側の独自集計と異なるとして各地で政府に対する抗議活動が発生し、デモ隊と政府側の双方に死傷者が出ているもようだ。
ベネズエラで大規模デモ 大統領選結果に若者が抗議https://t.co/icJEurlV2k
— 日経電子版 国際 (@nikkei_intl) July 30, 2024
一部の独立系メディアなどは、抗議活動は米国によって資金提供されているとの見方を伝えている。真偽は不明だが、そうした見方を誘う背景はある。
ベネズエラでは2019年、反政府派が過半数を占める国会が、マドゥロ大統領の2期目就任の正当性を認めず、国会議長に就任したばかりの若手政治家グアイド氏を暫定大統領に指名。2人の大統領が並び立ち、国際社会を巻き込んで対立する異例の事態となった。このとき米国はグアイド暫定大統領を支持し、当時のトランプ政権が軍事介入の可能性さえも示唆した。
もし今回も、米国が内政干渉まがいの行為に関与しているとしたら、ベネズエラ国民は反発を強め、むしろマドゥロ政権への支持を強めるかもしれない。それは経済を衰退させる介入政策が続くことを意味する。かりに主要野党の大衆意思党に政権が移っても、同党は社会民主主義の左派政党であり、経済政策に大きな変化は望みにくい。
今のベネズエラに必要なのは、国民の多くが支持してきたバラマキの左派政策から脱し、市場経済と財政規律を尊重する自由主義を復活させることだ。小さな政府と規制緩和を説くミレイ大統領を誕生させた同じ南米のアルゼンチンのような、国民の意識変革が求められる。