【QUICK解説委員長 木村貴】今から95年前の1929年10月24日、ニューヨーク株式相場が大暴落した。暗黒の木曜日と呼ばれる。これをきっかけに米経済は不況に突入し、世界恐慌(大恐慌)が広がった。
当時、株暴落が十年以上も続く大恐慌に発展すると予想する人はほとんどいなかった。実際それまでの米国では、恐慌はせいぜい数年で終わることが多かったからだ。
ところが大恐慌では、米国が本格的に繁栄を取り戻したのは第二次世界大戦が終わった1945年以降だった。一体何が、長期の恐慌への分かれ目になったのだろうか。
何もしなかったという嘘
米政府が経済対策を怠ったからだと思う人が多いかもしれない。実際メディアでは、恐慌が始まった当時のハーバート・フーバー大統領(共和党)は「自由放任」で、何も経済対策をしなかったと、よく解説される。
しかし、それは事実と異なる。フーバー大統領は決して自由放任ではなく、株暴落を受け、盛んに景気対策を繰り出した。
フーバーは株暴落の翌月、州知事全員に電報を打ち、州の公共事業計画を拡大するよう協力を求めた。連邦政府の建造物計画を増額し、商務省に公共業事業計画を推進するために公共事業局を新設した。公共事業を含む連邦政府の歳出は1930~1934年度にかけ、ほぼ一貫して増加した。
中央銀行である米連邦準備理事会(FRB)も利下げで側面支援した。暴落直後の1929年11月1日、ニューヨーク連邦準備銀行は公定歩合を6%から5%に引き下げている。続けて半月後、4.5%まで利下げする。翌30年にはさらに計5回の利下げを行い、同年12月に公定歩合は2%まで低下した。これはすでに連銀として当時では過去最低だったが、さらに利下げが実施され、31年5月には1.5%となった。
フーバー大統領は連銀のすばやい金融緩和に満足し、すばらしい連邦準備制度を有することは米国にとって幸運であるとほめたたえた。
ところが政府・中央銀行がこれだけ熱心に財政・金融政策を実施したにもかかわらず、経済は上向かなかった。
フーバー大統領より20歳近く年長のメロン財務長官は、南北戦争後の1870年代に起こった恐慌について、政府の景気対策などなかったが、わずか1年のうちに経済は再びフルスピードで作動しだしたと話して聞かせた。
しかしフーバーは、昔の経済構造は単純で、当時のやり方はもはや通用しないとして聞き入れなかった。メロンから「人間の本質が60年で変わることはない」と反論されたが、経済介入の方針を変えようとしなかった。
FRBによる金融緩和は、民間部門のマネー減少によって相殺されてしまった。米市民が金融危機への不安から銀行預金を引き出し、現金に換えたことなどが原因だ。金融市場は政府・中央銀行の思いどおりには動かなかったのである。
フーバー大統領が実施した介入政策のうち、経済への悪影響が最も大きかったものの一つは、労働市場への干渉だった。企業に圧力をかけ、賃金を引き下げないようにさせたのである。
賃金を市場で決まる水準以上に高く保てば、企業は人を多く雇えなくなり、失業の増加につながるのは経済学のイロハだ。まさにそのとおりに、米経済は改善するどころか、史上例のない大量の失業者を生み出すことになる。失業率はフーバー大統領が退任した1933年3月には28%に達した。
失敗だったニューディール
フーバーの後任となったフランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)は、ニューディール(新規まき直し)政策に乗り出す。これはフーバーに輪をかけた大規模な介入政策だった。
ニューディールの目玉の一つとなった全国産業復興法(NIRA)の狙いは、各産業に生産額や価格設定、労働条件など事業活動を縛る規約を作成させ、それに基づく合法カルテルによって過剰生産を抑えるというものだった。しかし規約を守らない闇取引が広がるなどして、失敗に終わる。
同じく新設された公務管理局(CWA)は公務員を一気に400万人増やす計画を打ち出し、実現させた。しかし、問題は仕事の中身だ。高速道路で測量技師、設計士、石工、レンガ職人、大工、修理工らが働いたほか、考古学者や文化人類学者が歴史的遺跡の発掘調査に乗り出した。オーケストラは市民に無料コンサートを開き、2000人の芸術家が全国の郵便局や市役所に壁画を描いた(林敏彦『大恐慌のアメリカ』)。そのほか雑草取りや落ち葉掃き、「古代の安全ピンの研究」まであった。CWAは雇用創出にかかるコストの高さが問題となり、わずか2カ月半で活動を停止した。
テネシー川流域開発公社(TVA)は、ニューディール最大の公共事業である米中東部テネシー川流域の総合開発を担った。開発の狙いは、政府が周辺地域に安価な電力や肥料を供給して生産力を回復させるとともに、事業に多くの失業者を吸収して購買力を高めることにあった。だがそのもくろみは失敗に終わる。
公社の安価な電力が届くテネシー川流域の経済成長は、届かない周辺地域と同じかむしろ低くなった。なぜかといえば、周辺地域では高い電力コストを吸収できない農家が製造業やサービス業で働くようになり、高い収入を得た。これに対し、安い電力を入手できる地域の農家は結果として転業が遅れ、所得が伸びなかった。皮肉なことに、貧しい人々を助けるために始められた巨大な公共事業が、その人々の足を引っ張ったのだ。
ダム建設によって立ち退きを強いられた人々は1万5000人以上に及び、農地所有者には接収の対価として現金が払われたが、農地を持たない小作農には何の補償もなかった。
米経済はニューディール政策が始まった1933年から10年近くが過ぎても低迷し、失業率も平均で17%台と高い水準が続いた。一方、ニューディールのような介入政策が実施されなかった隣国カナダでは、失業率は1930~33年に大きく上昇したものの、その後改善に向かった。欧州諸国の回復も米国より早かった。ニューディールは失敗だったのだ。
政府は経済に手を出すな
今週初め、日経平均株価は前週末比4451円安と、1987年10月の「ブラックマンデー」時を上回る過去最大の下げ幅を記録した。米ダウ工業株30種平均も1000ドルを超える下げとなる日があった。その後日米ともいったん上昇に転じたが、米景気の先行き不安が世界の株式市場を覆っている。
FRBに出遅れ批判、緊急利下げ論も 高官は景気後退否定https://t.co/P0AKutFKFL
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) August 5, 2024
米国では高金利を維持してきたFRBへの批判が強まり、緊急利下げ論や大幅利下げ論が浮上している。日本でも秋には物価高に対応する経済対策を検討するといい、株安がさらに進めば、衆院解散・総選挙をにらんで景気対策の圧力が強まるのは必至だ。
内外で政府の景気対策やそれを側面支援する金融緩和が実現すれば、投資家心理が好転し、株価は一時上昇に向かうかもしれない。だが、それはかえって経済構造の改善を遅らせ、深刻で長期の恐慌をもたらしかねない。政府はたとえ不況でも、いや不況であればなおさら、経済に手を出してはいけない。これが大恐慌の重い教訓だ。