【QUICK解説委員長 木村貴】ウクライナ戦争をめぐる国際世論が変わりつつある。先週、欧州でそれを象徴する出来事があった。AFP通信によれば、英歌手のロッド・スチュワートさんがドイツ公演で、ロシアとの戦闘を続けるウクライナへの支持を表明したところ、ブーイングを浴びた。
ドイツは、2022年2月にロシアがウクライナで軍事行動を開始して以降、ウクライナを支援してきた。しかし世論は二分。ドイツがウクライナを支持することで紛争が激化しかねないとの懸念や、対ウクライナ支援拠出をめぐる不満が広がっている。
ウクライナ支援の世論に変化
潮目の変化が鮮明になったのは、今月上旬に行われた、欧州連合(EU)の立法機関である欧州議会の選挙だ。欧州各地のポピュリスト右派政党が大幅に議席を伸ばした。背景には移民問題などのほか、米主導のウクライナ支援に追随し、対ロシア制裁によって物価高騰などの副作用をもたらした既成政権への不満がある。
ところが米欧は対ロシア制裁をやめないどころか、ここに来てさらに強化している。米政府は先週、ロシアに対する制裁を大幅に拡大すると発表した。ロシアとの取引がある外国金融機関に制裁対象を広げる。
さらに主要7カ国(G7)はイタリアで開いた首脳会議(サミット)で、凍結したロシア資産を「活用」したウクライナ支援の枠組みで合意した。年内に500億ドル(約7兆8000億円)の追加融資を実行し、ロシアの凍結資産の運用収益を返済に充てる。
この決定にロシアのプーチン大統領が「盗みだ」と激怒したのに対し、イエレン米財務長官は「(ロシア資産の運用は)窃盗ではない。法的問題はない」と反論。G7サミットの議長を務めたイタリアのメローニ首相は「(ロシアの)資産を没収するという話ではなく、資産から生み出される利息の話だ」と述べた。
もし米欧の主張が「元本を没収するのは違法だが、利息など収益を流用するのは合法」という意味だとすれば、常識からはにわかに信じがたい。かりに収益の流用が合法ならば、いずれ元本の没収も何らかの理屈をつけて合法だといわれる可能性が否定できない。それはグローバルな金融市場に深刻な悪影響をもたらすだろう。
制裁が招くブーメラン
理由は言うまでもない。米欧と政治的に対立したら資産がいつ凍結されるかわからないだけでも不安なのに、収益を流用されても文句をいえず、元本まで没収されかねないとしたら、企業や富裕層は米欧など西側諸国の資産を怖くて持てなくなる。
ロシアのほか、中国、インド、サウジアラビアなどは米欧の資産を多く保有している。BRICSやグローバルサウスと呼ばれるこうした新興・途上国は、経済制裁や資産凍結への警戒感から米欧への投資を減らす可能性がある。報復で米欧の資産が没収される恐れもある。米欧自らが招いたブーメランだ。
とりわけ中国は米国債の最大保有国の一つであり、その投資行動の変化は米国債相場、つまり米長期金利に大きな影響を及ぼす。先月、今年1~3月に533億ドル(約8兆2000億円)もの記録的な額の米国債を売却していたことが明らかになったばかりだ。中国はロシア向けに軍民両用の資材を提供しているとして西側から非難されており、資産凍結の恐れを感じて米国債売却を加速させれば、米長期金利は跳ね上がり、米国のみならず欧州や日本の金融・株式市場に及ぼす衝撃は計りしれない。
むろん中国は大量に保有する米国債の相場が暴落すれば、自分の首を絞めることになるから、軽はずみには動かないだろう。それでも米欧が中国やロシアに対して強硬な態度に出るほど、国際的な経済危機のリスクが高まるのは間違いない。
自由な市場経済の基礎は、財産権だ。なぜなら、ある物を誰かに売るためには、前提として、その物が自分の財産でなければならないからだ。個人の財産権が政府などによってたやすく制限される社会では、安心して取引をすることができない。経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは「自由主義の理念を一言で表現するとしたら、それは財産だ」と述べている。
この真理は、大規模で複雑なグローバル金融市場であっても変わらない。むしろいっそう重要だといえる。制裁や資産凍結で財産権が絶えず脅かされるような世界では、金融市場が成り立たないとはいわないが、相当不安定なものになるだろう。
第三次世界大戦の悪夢
世界経済の行方を脅かすのは、制裁による経済戦争だけではない。「第三次世界大戦」の悪夢が現実になる可能性も消えていない。
今週初め、スイスで2日間の日程を終えて閉幕した「世界平和サミット」は、その名に値しない茶番だった。ウクライナ戦争の終結を話し合うはずなのに、当事国の一方であるロシアは招待されず、ウクライナのゼレンスキー大統領だけが出席したところからしておかしい。ゼレンスキー氏は先月任期が満了したにもかかわらず、戒厳令を理由に居座っており、大統領の資格を疑問視する声もある。
こんな奇怪な「平和サミット」が成功しないのは当然だ。会議には160以上の国・機関の代表が招待されたものの、ロシアが不在のため、中国など辞退が相次ぎ、参加は100にとどまった。参加国からも「信頼できる交渉にはロシアの参加が必要」(サウジのファイサル外相)と厳しい言葉が飛び、BRICSのブラジル、インド、南アフリカをはじめ十数カ国が共同声明に賛同しなかった。
西側の態度もおざなりだった。再選をめざすバイデン米大統領は俳優ジョージ・クルーニーさんらとの資金集めイベントのため欠席。日本の岸田文雄首相は会議で演説したが、ウクライナ支援を続けていくという内容に変わり映えはせず、約5時間半のスイス滞在の後、国会質疑のため帰国した。
和平について真剣に話し合おうと思えばできるはずだった。会議開幕の前日、ロシアのプーチン大統領は停戦の条件として、ウクライナ東・南部4州からの同国軍の撤退や、ウクライナがめざす北大西洋条約機構(NATO)加盟の放棄などを挙げた。
これに対し米欧側は「交渉でなく降伏を求めている」(ハリス米副大統領)などと反発するだけだったが、それはおかしい。プーチン氏が示した停戦条件は、戦争開始からまもない2022年3月、ロシアとウクライナがトルコのイスタンブールで停戦について会談し、合意した内容とほぼ同じだからだ。
当時の交渉については米紙ニューヨーク・タイムズが先週、新事実とともにあらためて報じている。それによれば、プーチン大統領は当初、2014年のロシアによるクリミア半島併合をウクライナが承認するよう求めていたが、紛争を終結させるために、この問題を棚上げする用意があった。また、ウクライナの交渉チームは、同国がNATOを含む「いかなる軍事同盟にも加盟しない」こと、「外国の軍事基地や部隊を配備しない」ことを明記した和平案を提案したという。
ところが、ここで米欧が介入する。当時のジョンソン英首相はキーウ(キエフ)を訪問し、ゼレンスキー大統領に和平交渉を断念するよう圧力をかけた。ニューヨーク・タイムズによれば、米政府高官はウクライナ側に対し「これが一方的な武装解除だということは理解していますね?」と静かに言ったという。
結局、ウクライナは交渉を放棄し、ロシアと戦闘を続けた。その結果、現在に至るまで多数の死傷者を出したうえ、東・南部でロシア軍が優勢となった。戦争を選んだゼレンスキー政権とそれを後押しした米欧の自業自得といえる。今回プーチン氏の提案を拒否し、戦闘を続ければ、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
ウクライナ軍は今月に入り、米国製の武器を使って、ロシア国内を攻撃した。米政府は5月下旬に従来の制限を緩め、米国製の武器による越境攻撃を一部許可したが、実際に攻撃が確認されたのは初めてだ。ウクライナ戦争は、米国とロシアの代理戦争の様相をますます強めてきた。両国は核大国であり、紛争激化の代償は限りなく大きい。